神無月

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●2005年10月29日
「エミケン木工教室 第三話」
「研磨」の図。第二話「板接ぎ」終了後、次にする作業がこれである。板接ぎの際、目違い(板と板の段差)がないよう 接ぐのだが、やはり若干できる。接着剤もはみ出ているのでカンナでそれらを荒く整えてから、手持ちのベルトサンダーで研磨する。 昔は全てカンナでやっていたのだろう。今でもカンナ使いの達人はやっているかもしれない。しかしワシはベルトサンダーを使う。 番手#60、#80、#120の順で全て表裏研磨する。この量だとまるまる二日間ですな。朝から夕方までひたすらサンダる。 このサンダがけも実は物凄い重労働なのだ。ベルトサンダーはいわばキャタピラ戦車のような構造をしている。とにかく力強い。 番手が若いと食いつき力も強い。これを前進させグイと引き戻す。また前進させ引き戻す。この繰り返し。腕はもちろん、背中、 腰とものすごい負担がかかる。サンダとワシ、どちらが先に音を上げるか根競べですな。ワシも相当な負けず嫌いなので、 そう考えるとムキになる。ところが先に音を上げたのは、なんとコンプレッサーだった。一枚研磨終了ごとにプシューと 圧縮空気で木粉を吹き飛ばす。コンプレッサーもがんばっていたのだね。少し休ませ冷やしたら復活した。
#120が終了後いよいよ墨付け、加工に入れるのだ。そして組立て終了後、仕上げ(木油、木蝋)の下地作りとして、再び研磨する。 この段階では立体になっているので、研磨は手作業だ。番手は#240から#400くらい。漆やウレタン塗装仕上げなどは更に研磨の行程が 増える。と、とにかく全工程中、研磨の占める割合はかなり多い。しかし、ベルトサンダーの威力は凄い!最初の頃はコイツを 持っていなかったので、全工程カンナと紙やすりで行っていた。奮発していい物を購入したが、元は簡単にとれたね。
●2005年10月28日
『閲覧室』製作進捗状況。まずやらなくてはいけない作業が『エミ部門資材置場』作りだった。今まで資材が置いてあった 四畳半を空にしなくてはならないのだ。しかしこれは容易な作業ではない。まずは移転先を決めなければならない。 「屋根裏は?」「狭いよ」。「高床和室三畳は?」「ダメダメ!」。そして決まった場所が工房内北西角に以前作った高床だ。 ここには古箪笥やワシのお宝(ガラクタ)が置いてある二畳の空間である。問題はこの場所はかなり木粉だらけになることだった。 すでに古箪笥たちは真っ白になっている。これでは資材置き場にならない。壁と棚を作り照明を付ける作戦をたてた。 そしてワシは数日間定時後21時過ぎまで作業し、今日『エミ部門資材置場』が完成した。これからいよいよ『閲覧室』に着手である。 請うご期待!!

●2005年10月27日

ワシの好きな言葉の一つに「紺屋の白袴」がある。「藍染職人が、忙しさのあまり自分の袴も染められない」 様を言っている。自分が作り手になってみて、よーく解った。以前は「自分の家は全部、自分の作品で埋め尽くしたい」とも 思ったが、そんなもの作ってる暇はまるでない。両親に頼まれている脇棚(sideboard)でさえ二年くらい待たせている。 仕事で忙しいのは結構なことだ。そういう意味で好きであるのと同時にこの格言に込められた、「職人の覚悟」みたいなものが とても好きなのだ。「ボロは着てても心は錦」「武士は食わねど高楊枝」「欲しがりません勝つまでは」などに通じる「滅私の美学」 を感じるからだろうか?要はマゾですな。
あ、そうそう。そろそろ本題。と言うわけで恥ずかしながら、実は我家の食卓はずっとキャンプ用折りたたみテーブルを使っていたのだ。 ずっと世話になっててこう言うのも何だが、アルミと合板でできたひどくチャチい物だ。食事時、ちょっとぶつかるとグラグラ揺れ、 味噌汁がこぼれる。ある時はテーブルを動かそうとしたら、折りたたみの脚が折れ、上に用意した食事一式、全てぶちまけたことも。 パン生地やピザ生地をこねることもできないので、床でこねていた。二年位前からエミ氏より製作の要請はあったのだが、 作れなかったのだ。しかし、それがようやく完成した!!自分で言うのも変だが、特注家具っていいね。何もかも希望通りである。 肩の荷が下りたのも束の間、早速次の要請「食器棚」が入ってしまいました・・・。

●2005年10月25日

『コンテナ・ギャラリー』閉店しました・・・。かなり労働力を提供していただけに「悲しみトゥーヤング」。 『珈琲屋・街道店』自体の閉店なので、いたし方ありません。『珈琲屋』さんも苦渋の決断だったようです。 でもおかげで色々勉強させてもらいました。足をお運びくださった方々、これから行こうと思ってた方々、ありがとうございました。 そしてすいません。
しかし!おかげで自分の『閲覧室』(show room)を作る決心がつきました。只今、工房を大改造中です。 広さ九畳、高床(loft)三畳和室、です。できれば露台(terrace)も作りたい。ここで珈琲でも飲めれば、と考えています。 珈琲は自給(self service)方式にしていつでも飲めるようにします。などなど、夢は膨らみます。毎日定時後にコツコツ作るので、 完成はいつになるか分かりませんが、楽しみにしていてください。・・・いやー、外来語を和訳するのは難儀ですなぁ。

●2005年10月20日

「エミ部門」。なにやら活動しているようです。エミ氏、とうとう我慢しきれず動き出しました。なんと、人を使っているではないか!! お、おや!?しかもミシンを駆っているのは ノペ子 ではないか!!「必要は発明の母」とエジソンも言っていたっけな (これホント)。そうか。そういう作戦にでましたか。いいね。デザイン・フェスタも近いことだし。 ノペ子は細かい作業がやたら得意だし。あっ!!デザフェス!!!もうそんな時期か。何も戦略を練っていない。忙しすぎて そんな暇がない・・・。ようしこうなったらワシも最後の手段。「尻に火がつくまでほっておく」作戦だ!この作戦は多分に危険を 伴うが、今までだいたい成功している。今回もなんとかなるだろう。

●2005年10月17日

小平市まで納品に行ってきた。5月の≪くらし・うれしい・モノ・マーケット≫で『エミケン』の作風を気に入っていただいた方 からのご依頼で、ご自宅用の<テレビ台>を製作させて いただいた。大きな液晶テレビとその他機器類が収まり、掃除などがしやすいように車輪付。しかしこのテレビの重いこと。 薄型だから軽いように見えたがさにあらず。実はこんなに重いんだね。こちらのお宅は実に物が少なく、部屋がすっきりしているので、 どんな意匠でも引き立つよう思えた。明るい印象の部屋に、ウォールナットのテレビ台がビシッと視的力点を与えていた。 テレビ台がない時は床に直接テレビを置いていて、これもとてもかっこよかったのだが、裏面の配線が丸見えなのが難点だった。 話はそれるがこの配線というものはホント厄介だ。ハイテクと言いつつも裏を見ると極太コードがとぐろを巻いている。 最新機器が増えるにつれとぐろも増える。パソコンの後ろ側など大変なことになっている。ワシも以前は最先端の防衛機器を設計 していたが、いつも星の数ほどもある配線の処理に悩まされていた。このトグロを解消できたら大革命だと思う。 最先端の技術者の方。がんばってください。と言うことで、配線とか形のゴチャゴチャした物とか色使いが滅茶苦茶というのは、 思いの他空間の邪魔をする要素なので、それを隠したり統一したりする工夫をちょと凝らすと、物があっても劇的に空間はサッパリする。 どうぞお試しあれ。
テレビ台。とても気に入っていただけたようで、よかったです。どうもありがとうございました。

●2005年10月12日

海洋カメラマンの 杉森雄幸 氏が来房してくれた。実は大学時代のスキューバダイビング部の後輩なのである。 三年ほど前、小笠原に行った際、久々にフェリーで出会い、海洋カメラマンになったことを知った。ワシも学生時代はダイビング三昧で、 ガイドのアルバイトをして日々充実していたが、仕事にしようとまでは思わなかった。しかし、氏はしてしまったんだなぁ。凄い! 楽な商売ではないだろうけど「楽しくてしょうがない」と言っていた。特に氏は鯨の撮影を畢生(ひっせい)の仕事(lifework) としている。今後も素晴らしい写真を楽しみにしております。
杉森雄幸 オフィシャルウェブサイト

●2005年10月9日

またまた木工ネタ。「板接ぎ(いたはぎ)」の図です。板を接ぐ、すなわち、板をつないでいるのである。食卓の天板など、 幅広の材料が必要なとき、こうやって板接ぎをして材料を作るのである。もちろん「一枚板」も買えばある。 しかし、600mm以上ともなるとかなり高価になってくる。稀に「それでもいい」というお客様もいるが、稀である。普通は経済のために 150mm〜300mm巾程度の普通の価格の材料を接いで使うことになる。これはこれで、木目を工夫すれば、つなぎ目は分かりにくくなる。 つなぎ目がハッキリ判っても、結構「あじ」があるものである。ワシは好きである。
で、この「板接ぎ」の図に戻るが、なんだか雁字搦め(がんじがらめ:凄い字だ)に見える。 巾方向に押さえてる締付工具(clamp)は圧着のために。厚さ方向に押さえている締付工具は反りやズレ防止のためなのである。 板同士の接合面はもちろん平ら、かつ垂直に仕上てある。更に接着強度を増すために南蛮渡来の「ビスケット・ジョイント」 なる技術を施してある。日本古来の技術だと「雇いざね」なんてのがある。しかしそこは流石合理主義の南蛮人。 専用工具と規格化された部品により作業効率が格段に高い。自国文化にこだわるワシであるが、「いいモノはいい!」。 積極的に使わせてもらっています。
このように板を作る作業もなかなか手が込んでいるのであります。板組み(⇔框組み)構造の棚などを一度に何個も作るとなると、 まずこの「板作り」の作業でかなりの日数を費やされる。締付工具が何十、何百個もあれば一気に板接ぎできるが、締付工具がまた 高価なもので、そうは所持できない。接着剤が乾くまで、工具で締め付けた状態で一日放置するので、 せいぜい一日に板接ぎできる数量は4〜8枚である。40枚50枚も板を作るとなると、なかなか日数がかかるのである。 しかしワシは「板接ぎこそ無垢の家具屋ならではの作業」だと思うので、実はかなり好きな作業なのである。

●2005年10月7日

どこの木工所も製材所も同じ悩みを抱えているだろう。とくに『エミケン』のような個人経営のところは。 木材を加工する際に出る木屑の処分方法を。木屑だって元を正せば、購入した木材。財産だ。 しかし、悲しいことに仕事をすればするほど木屑は出る。木屑が多い所は仕事が多いところ。木屑の量はその工場の景気の 気圧計(barometer)。最近『エミケン』はにわかに忙しい。「チビタ特需」と呼んでいる。ただ単に働き手が50%削除されたために、 負荷が増えただけなのだが・・・。とにかく木屑が多い。今までは90Lのゴミ袋に小分けして、ちょとづつ燃えるゴミに出していた。 かなりカッタルい作業だ。たまに近所の畑をやってる人が畑にまいてくれた。しかし根本的な解決策はなく、いつも頭を悩ませる事の ひとつになっている。(ふー。前置きが長くなった)
そこで、この問題を解決すべく、今日、隣町の乗馬クラブに電話してみた。「厩舎ではオガクズや稲藁を必要としている」という風説を 思い出したからだ。日の出町『東京ホース・ビレッジ』に電話すると「持って来てくれるなら是非欲しい!」と二つ返事だった。 喜び勇んで120L×5袋の木屑を持っていった。工房ではあんなに存在感を発揮してたワシの木屑も、厩舎に持っていったとたん「新米の 小僧」みたいに存在感まるでなし、なほどの大量の木屑が積んであった。日の出町は製材所や塔婆工場が多く、木屑にはことかかないそうだ。 この日も4トントラックで搬入している業者がいた。いいのだ。今までゴミにしていたワシの財産も、ここで馬達の役に立つのだ。 こんなに嬉しいことはない。日の出町の木屑は皆針葉樹だが、ウチのは広葉樹だぞ。しかも外国産もあるぞ!たまにはいいだろ?
というわけで、今後いつでも引き取ってもらえることになった。ありがとうございます。もっと早く思い出せばよかった・・・。 ときに、この乗馬クラブ、どうもワシと同じ臭いのする人種が集っている。劇団員もいた。そこかしこ、何でもかんでもド素人の手作り。 今はクラブハウスを製作中だった。これがまたふるってる。ま、これ以上は言うまい。 とにかくここの人は一癖も二癖もありそうで、きっとワシと馬が合うだろう(座布団一枚!)。なのでまた遊びに行ってみよう。 馬にも乗ってみたいし。「宣伝してくれ」と頼まれたので宣伝します。 →コレ

●2005年10月2日

たまには木工らしいことも書かなければね。只今製作中の<食卓60×120>の脚と幕板(という部品)の接合部です。どう?箱根細工 みたいでしょう。いや、箱根細工はこんなに簡単ではないね。スイマセン。この食卓は幕板だけで脚の強度をもたせる意匠なので、 この部分はしっかりしていないといけない。幕板の巾を広くすれば当然強度は上がるのだが、食卓という性格上限度があるし、意匠も野暮 になる。そこで限られた条件で強度を上げるためにこんな仕口(接合部のこと)になっている。 脚のホゾ穴に両側からホゾを差し込むのだが、できるだけ深く差し込むため、先端を留(トメ:45度のこと)にしてある。 これだけでは心もとないので、隅木(スミキ)という幕板と脚を接合する部品をさらに取り付ける。 外観をスッキリさせる事と強度を確保することは相反することなので、こんな風に隠れたところで工夫をしているんですねぇ。


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