葉月

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●2006年8月31日 家吉さようなら
本当に最終日になってしまったが、この日残っていた物たちを撤去搬出した。そして最後に大家に鍵を返し終了。脱サラして5年。 家吉には本当にお世話になった。無事ワシらがここまでやってこれたのも家吉のおかげ。タイゾウにとっては生家である。 素晴らしい、そして楽しい5年間だった。物がなくなるとなんだか寂しいね。人が住んでたようには見えない。 多くの人が集ったあの日々が嘘のようだ。
「夏草や兵どもが夢の跡」

●2006年8月26日 引越し千秋楽 予備日

泊まってくれた金子家、ツゥジーが今日も引越し作業を手伝ってくれた。昨日残してきてしまった「イナバの物置」、お気に入りの植木 を雨の合間に持ってきた。いやー、物置は重かった。カネコ氏とワシで渾身の力を振り絞り、高台から降ろしてきた。 しかし、流石のハイエースにも微妙に乗らず、解体。解体したくないからここまでがんばって運んできたのに・・。解体はすこぶる 簡単で、「初めからこうすればよかった・・」。(タラレバ多用御免!)
これで大物は全て移動完了。じつはまだ自分で取り付けた便器や風呂のボイラー、給湯器、シーリングファンが残っているが、 これは工事しないと外せないのでワシが後日コツコツやる。しかしこれは枝葉で気持ち的には「終わった〜」という感じ。 良かった良かった。皆様本当にありがとうございました。次は「9月中工房部引越し」という大仕事が残っているが、今は考えない事に しよう。

●2006年8月25日 引越し千秋楽 第二日

朝9時、家吉に助っ人勢ぞろい。佐倉の金子家(ハイエース)、日原の北山家(タウンエース)、 川崎のツゥージー。お忙しいところ感謝です!エミタイと北山家のミチカちゃん、カヅキ(タイゾウ同級生)は氷川城にて 子守と引越し部隊の食事準備。
家吉に残っている物は大物ばかり。箪笥、流し台、エミ部門ミシン、棚、洗濯機などなど・・。大勢いるというのは頼もしい限り。 どんどん仕事がはかどる。
昼食をはさみ午後も順調に運び出す。どんどん運ぶ。まだ結構残ってたんだね。で、あと一、二往復という時、雨が降りだした。 相当がんばったので「今日はもうやめとけ」と神様が言ってるようだ。大物の「イナバの物置」がまだだったけど、 まあコイツは家吉に寄付でもいいか。
皆で『もえぎの湯』に行き、身も心もサッパリ。この頃にはもうザンザン降りだ。いやー、昼降らないでよかった。
氷川城に戻り、感謝の宴。ミチカちゃんとエミ氏が準備しててくれた。極上焼肉!普段もこんな肉食いたい・・。 北山家は宴会後帰宅。イクト氏、速攻で落ちてたね。金子家とツゥジーはお泊り。氷川城の初お泊り客だ。本日は皆様、 本当にありがとうございました。これで無事引越しも終わりました。大感謝です。

●2006年8月24日 引越し千秋楽 第一日

いよいよ住居部の引越しも最後の大詰め(あくまで住居部、工房部は全くの手付かず、今は考えない・・)。 早朝よりワシの両親が助っ人に来てくれた。感謝です。家吉より、荷造りしづらい小物類を息を止めて (厄介な事柄をやっつけるときにワシが良く使う表現、実際は息をしている)運び出す。先日のエミ部屋もそうだったが、 人手があるとこんな作業もはかどる。
9時半頃ピアノ移動業者が来る。今回ピアノと冷蔵庫だけは玄人にお願いした。「餅は餅屋」。家吉は平屋だが高台にあるので クレーンで搬出。これで高くつくんだね。移動距離は車で5分ほどなのだが、ピアノと冷蔵庫で42,000円。仕方ないね。 でもこれで一番厄介な物が移動できたので大分気持ちが軽くなった。ステ吉で運べるものもほぼ完了。 明日は屈強な若者と車が助っ人に来る。
冷蔵庫が来たので本日より生活拠点を氷川城に移す。早速氷川城に入城しまずはご近所様への挨拶回り。といっても4軒しかないのだが。 昨日買ってきた菓子を配る。カツチヨ(両親)城住居部の床を入念に雑巾掛け。ありがたし。
夕食はさすがにまだ作れず外食。カツチヨも一緒にと思ったが、テレビを見るとかで帰宅してしまった。ありがとうございました。

●2006年8月23日 <低卓>納品 と 『アトリエ ギーニョ』個展

武蔵野市の上田様邸に <低卓>  を納品してきた。ウエダさんは料理研究家でいらっしゃり、改装したばかりのご自宅はとても簡潔で明るく、それはそれは素敵で、 そのまんま展示室(ギャラリー)になりそう。さもありなん。ご自分の料理の本の写真はほぼご自宅で撮影されるそうである。 そして特にというか流石にと言うか台所(キッチン)は広く明るく機能的で、一見「道具これだけ?」と思うほどモノがないのだが、 ちゃんと収納は十二分にあり機能的に仕舞ってあるそうだ。うーむ。料理好きのエミ氏に見せてあげたい。
そんなお宅に納品した<低卓>。手持ちのソファーに合うものを市販で探していたそうなのですが、どうも意匠、寸法とも 気に入るものがない。「もうなんでもいいや」とあきらめかけていた頃 『エミケン』 の家頁を見つけたそうだ。 この<低卓>、特筆すべきは「縦でも横でも使える」ということ。ここに上田さんはこだわったのでした。意匠はごく簡潔なのだが、 探すとないもんなんだね。詳細は『エミケン』家頁にて。
納品した二台の<低卓>。早速ウエダさんの双子のお子さんが、積木のようにして「あーだ、こーだ」と遊んでおりました。 「あー、やはり無垢の家具はいいなぁ。」とニヤニヤ眺めておりました。いつかこの<低卓>も上田さんの料理本に 登場するのかな?上田様。この度は誠にありがとうございました。
上田さんの家頁です→ Bon Apetit!

さて納品後、友人のタイル作家  『アトリエ・ギーニョ』林 元美さん  の個展を見に三軒茶屋まで行った。彼女とはデザフェスで知り合い、「いつか木とタイルでなにか作れたらいいですね」 などと話していた。
会場の『Cafe Bossa』は小さい店だがどことなくスペインの 裏路地にある店(行った事ないけど・・)っぽく、おちついた可愛らしい雰囲気だ。その店内に飾られた林さんの絵付けしたタイル。 とてもよく似合っていた。普段からこの店にあるようなたたずまいだ。日本人はまだいまひとつタイルという素材を使いこなせていない 気がするが、うまく使えばいい雰囲気を演出できる。耐久性も抜群だし。ワシ的にとても気になる素材の一つだ。是非ゆくゆく 一緒に仕事しましょう。

●2006年8月22日 助っ人登場

まみちゃん とその友人 まゆみちゃん が引越しの助っ人に来てくれた。
まだ全く手付かずだった「エミ部屋」を重点的にやっつけた。エミ部屋は革工房でもあるので、道具や材料などなどが所狭しと 詰め込まれていて、見るからに大変そうであり、今まで見てみぬ振りをしていたが、いよいよそういうわけにもいかなくなった。
狭い空間の中に「どこに仕舞ってあったの?」と思うほどモノが次から次へとでてきた。しかし、助っ人が二人もいるとそんな作業も 楽しく出来る。ステ吉で荷運びを数回し、最後に氷川城住居部の床を雑巾掛け。ただ「雑巾掛け」としか言わなかったのに二人は 水ぶきを二度した後、ワックスがけをしてくれた。なんて丁寧な仕事なんだ。
作業後、『もえぎの湯』で汗を流した後、 家吉にて宴。まみちゃん、まゆみちゃん。お疲れ様でした。本当にありがとうございました!あれ?これが家吉最後の宴か!?

●2006年8月21日 氷川城 居間漆喰塗り

さーて。家吉に住んでいられるのもあと10日。氷川城住居部をはやく住めるようにしないと。ここまで、居間を重点的に改装している。 天井にはすでにスダレと竹を取り付け亜細亜的保養地の雰囲気ができつつある。天井作業は首に悪いね。
本日は居間最大の作業「壁漆喰塗り」を行う。これはエミ氏が最も得意とする作業なので、エミ氏に一任(実はワシは苦手・・)。 ワシはタイゾーの子守を一任される(二人同時に作業できないのが、悲しみトゥーヤング)。家吉の時は粉の漆喰を買って、自分で水で こねたが、なかなか大変な作業だし、ムラが出来てしまったり、また塗る際あまり薄く塗る事が出来なかったりと、完全に玄人仕様だった ので、今回は既に練ってあるものにした。 田中石灰工業社製 「タナクリーム」 20kgを通販で購入。プラ容器に入った既に練ってある真っ白な漆喰に顔料を混ぜ着色。この顔料は別売りで 数種類あるので好みの色にする事が出来る。ワシらはレモン色にした。ここから先はエミ氏の感想だが、 「扱いも簡単。非常に薄塗りが出来、施工しやすかった」そうだ。最近の自然素材流行によりいい商品が続々出てきたね。結構結構。
エミ氏は「絶対今日中に終わらせる!」という不退転の決意のもと、特攻服と鉢巻ならぬツナギと白タオルという気合充分ないでたちで 突撃していった。13時より作業を開始。ワシも夕方まで付き合ったが、眠くなったので家吉に帰宅。 その時は「こりゃ今日中には終わらんな」と心の中で思いながらも、「いい進み具合だね。終わる終わる!頑張れ!!」と言って去った。 「先に寝てていい」と電話があったので先に寝た。
明けて22日。4時頃目が覚め、氷川城に迎えに行った。3時頃まで作業し、タナクリームがなくなり作業終了。そのままそこで寝ていた。 壁は一部塗られていなかったが、素晴らしく素敵に変身していた。明るくなった。天井のスダレと竹にとてもよく合っていた。
エミ氏、お疲れさまでした!あれ?ワインの空き瓶が転がってる・・。

●2006年8月19日 ご来房〜

国分寺にカフェ開店予定の方が、店内の家具について打合せに来てくれた。あの ノペ子 の友人お二人です。ただいま店舗物件を物色中 ということで一番楽しい時期であり、一番不安な時期でもあるでしょう。でもひとたび動き出せば早いと思います。明確な夢を持ち、 そこに向かっている人と会うと、こちらまでワクワクしてきて力をもらえる。がんばって夢を実現させましょう! ワシもお役に立てるよう最大限がんばります。目標!年内開店!!

●2006年8月18日 両手にガキ

エミ氏の中学校の友人がエミ実家に集まり、ワシも子守役として駆りだされた。一歳児から小学4年までのワシが最も得意とする分野だ。 皆結婚し遠方に住むようになり、この時期実家に帰省した時くらいしか再会できない。毎年会うたびに子供らが成長していくのには 目をみはる。どんどん生意気になるがまだまだワシの敵ではない。ワシがちょっと本気を出せば、すぐ虜になる。可愛いもんだ。 来年は川で遊ぼうな。

●2006年8月12日 「佐藤塾 花火の夕べ」

本日は「第29回奥多摩納涼花火大会」。家吉にて「佐藤塾 花火の夕べ」を催した。夕方、三々五々塾生が集まりだす。 皆、食材と酒を持参してくれ様々なものが食卓にならび、大いに楽しい。何度も乾杯をする。
19時31分鳩ノ巣発奥多摩行きの電車に乗るため、駅まで歩いてゆく。ここで更に二人合流し全員集合。合計16人の大所帯だ。 ワシはいい具合にほろ酔い気分で、しかも電車に乗るのなど久しぶりなので、電車の中で随分はしゃいでいたようだ。 そうそう、「切符じゃんけん」をした。負けた人が全員分の切符を買う。大人150円の区間だからそれほど痛くないね。 行きは一番積極的だった まみちゃん の負け〜。ごちそうさまでした。
奥多摩駅周辺は祭りも同時開催だったため、大賑わい。一年で一番にぎわう日だね。どこからでも花火は見えるのだが、 そこは佐藤塾。他人と同じところでは見ない。一昨年雨の中で花火を見学したときに発見した、屋根つきの高台に行く。 人込みからさほど離れていないが落ち着いて見れる。しかし、若干街灯がまぶしい。ここで妥協しないのも佐藤塾。 さらに極上の場所を見つけた。目の前に遮るものがない暗い畑の中。巨大な花火が覆いかぶさるように打ち上がる。 花火が上がると山並が黒々と浮かび上がり、それはそれは幻想的な光景だ。これが山の花火の醍醐味と言える。花火が上がるたびに 聞こえる三歳の 陽太郎 の「うわー!すげー!」という歓声が偽りのない真実の声だけに、とても嬉しかった。 彼の思い出にこの花火は確実に残ってくれるだろう。40分という短い花火大会だが、皆大満足。更にいい気持ちで鳩ノ巣にもどる。 もちろん帰りも「切符じゃんけん」だ。帰りは混雑が予想されたので予め買っておいた。モトコちゃん、ごちそうさま〜。 帰りの電車ではワシは更に大はしゃぎだったそうだ。
家吉にて、再び宴会。後から合流した 長氏 が酒を勧める勧める。ワシはしたたか酔っ払った。終電で帰る組は三々五々帰る。 その後車組も帰る。宿泊組みは更に飲んでいたようだが、ワシは覚えていない。エミ氏が最後までがんばっていたようだ。
心に染み入る楽しい夕べでした。集まってくれた皆さん。どうもありがとう。家吉での宴もこれが最後ですが、今度は氷川城で 大いにやりましょう!

●2006年8月11日 「氷川城」進捗

給湯器屋さんがきた。新型給湯器無事取り付け完了!ワシはこんな高性能な給湯器を使うのは初めてだ。 「お風呂が沸きました」って言うんだよ。驚いたね。早速作業後、汗まみれになったので湯を浴びた。気持ちよかった〜。 念願の「仕事後のひとっ風呂」成就!暑い中、取り付けご苦労様でした。ありがとうございます。

●2006年8月10日 「氷川城」進捗

東電の検査が来、無事合格。動力の使用が可能になった。早速大型空調機をまわす。す、涼すぃ〜!よう効きます。

●2006年8月8日 「氷川城」進捗

まずは、ツゥジー、まみちゃん。ありがとうございました!!
女子二人が引越し作業を手伝いに来てくれた。今日は厄介者のひとつである「生地」を「氷川城」に運ぶ予定。 そう、「エミ部門」の材料です。皆さんご存知でしょうか?布や革の反物って、物凄く重いんです。幸い本日は薄曇で涼しく、 絶好の肉体労働日和。旧工房からステップWGN(ステ吉)2台分、家吉からステ吉1台分を運んだ。 ワシ一人だったら一日では不可能な量だ。しかし三人だと早いね。14時には終わってしまった。まだ余力があったので、 更に工房の雑多な物たちをステ吉5台分やっつけた。いやー、助かった〜。生地と雑多なものが結構心の重荷になってたんだよね。 おかげで心が軽くなり、先が見えてきました。ありがとう!もう本当に感謝の気持ちで一杯です。持つべきは親友ですな。 このご恩は必ずや必ずや!お願いついでにまたお願いします!!引越し、家部改装、閲覧室(ショールーム)改装・・・たくさん仕事が あります。平に!平に〜!!
労働後の温泉と宴会。楽しかったですなぁ。クセになりそうです。

●2006年8月7日 梅干干し

ワシの弁当には必ず梅干が入っている。夏はゴハンが痛みやすいので特に必需品だ。我家の梅干はすべてエミ氏の手作り。毎年10kgほど 作る。さすがにこの量は一年で消費できないので親戚にくばる。
唐突だが、ワシには「田舎」がない。幼少の頃からこれがちょっとした劣等感になっていた。小学校の同級生は夏休みともなれば、 新幹線や飛行機で帰省する。それがなんとも羨ましかった。ワシの両親はともに神奈川県出身。父親の郷里は昔「神奈川の軽井沢」 と言われていた。今は津久井湖の底にある。毎日二時間かけて山を越え、小学校に通っていた。祖父は山や川で仕事をしていた。 その頃の相模川はダムがなく水量豊富で流れも速く、立派な川だった。川漁で生計を立てている人もいたそうだ。 相模原や座間の米軍基地の兵隊が、当時まだ日本にはなかった大型ゴムボートでラフティングを楽しんでもいたそうだ。 今からは想像もつかない極上の川だったのだ。そして極上の田舎だったのだ。その劣等感と無念がワシを田舎、 それも清流のある田舎に移り住ませたと言っても過言でない。あと数日でその思いはもっと叶い、清流の横に住むことができる。
だいぶそれたね。で、ワシにとって田舎持ちの羨ましい事のひとつに「田舎からの届き物」があった。梅干や干柿などはその代表的な 物だろう。田舎のじいちゃん、ばあちゃんが丹精込めて作ってくれたものだ。立場は逆になってしまったが、その願いもかなった。 意識してやっているのではない。
@ 田舎暮らし=近所に店がない=何でも自家製(パン、菓子、漬物、梅干、味噌・・・)=どうせ作るなら多め
A 田舎暮らし=近所に店がない=都会の家を訪ねるときに土産が買えない
上記二項目により必然的に土産や贈り物は手作り品になってしまうのだ。田舎の人からしてみれば、当たり前すぎて困っちゃうような 事だが、都会人(ワシだけか?)にしてみれば涙が出るほど羨ましかった。
エミ氏曰く「今年の梅はサイコー!今までで一番いいできになりそう!!」だそうです。是非ご賞味に来て下さい。

●2006年8月5日 「氷川城」進捗とギョロ目一族

まず「氷川城」進捗。動力の屋外配線工事をするため関電工が来た。「そんな大工事!」と思うような作業だった。 何をしたのかはよく分からないが、一時間ほどで終わった。10日に東京電力の検査を受け、無事開通の予定。工業用大出力空調 (エアコン)、がんがん効かせるよー。まだ何もありませんが、皆さん涼みに来て下さい。
関電工が帰った後、今度は我が両親と弟一家が「氷川城」に来た。弟一家は先月27日から今月7日まで長期の夏休みをとり、 札幌から実家のある相模原に遊びに来ていた。わざわざ暑い所に来るなんて奇特ですな。皆「氷川城」の風光明媚に心打たれたようだ。 次来るときは 「亜細亜的保養地(アジアン・リゾート)」 になっているからね。しばし築城中の「氷川城」 を見学してから「家吉」に戻った。家吉もこれが見納め、というのもありわざわざ脚を運んでくれたようだ。家吉暮らしも残り ひと月を切った。脱サラして丸5年。激動の時期を共にしたこの城も再び野に返るんだな。 まだいくつか宴会があるからがんばっておくれ。

●2006年8月4日 「氷川城」進捗

ガス屋が来た。ボンベを設置してもらい、いよいよ火も使えるようになる。ただ、給湯器に問題発生。修理または交換が必要との ことで、まだ湯が使えない。改装作業後の至福の「ひとっ風呂」はまだお預けですな。

●2006年8月3日 『エミケン』夏休み

8月1、2、3日と夏休みをとり、伊豆の川奈に行った。ワシの両親、妹夫婦、弟夫婦と0歳の娘、そして我家という10人の大所帯。 妹のお腹に7ヶ月の胎児がいるので11人か。
ワシが幼少の頃から我家では、海といえば伊豆や葉山の岩場だった。砂浜にはほとんど行った記憶がない。 素潜りでサザエやアワビを採る術をよーく仕込まれた。ワシはメキメキ上達し、その後も海といえば岩場専門だった。 荒れた海で潜って、よく大怪我もした。波で岩に叩きつけられるのだ。岩に付着したフジツボが怪我を大きくする。 今でもその傷が残っているが、これはワシの勲章ですな。
今回は久しぶりの潜りだ。タイゾーもいるし、いいところを見せたいものだ。3年ぶりだったが、幼少に身につけた技というのは まったく衰えていないもんだね。大漁だった。ちなみに、採った魚介類は全て海に返します。ワシは採るのは好きだが、 食すのはあまり好きではない。運動(スポーツ)ですな。タイゾーも水を怖がらなかった。これは嬉しいね。徐々に仕込んで行くよー。 たまには海もいいもんですな。いい夏休みでした。


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