神無月

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●2006年10月31日 「ニッパラ城」改装 其の二
昨日から「ニッパラ城」の改装に久々に参戦してきた。日原はもうすぐ寒ーい季節。はやく住めるようにしないとね。 多忙な業務の合間を縫って、北山氏も追い込みをかけていた。進捗状況はと言うと。
1)柱、梁を塗装。墨汁や天然系染料により古材風に仕上てありカッコイイ。
2)壁、天井に断熱材充填。
3)一部照明取り付け。
といったところだ。「あの」廃材の山は・・そのままだった。
30日は壁、天井に石膏ボードを貼る。天井作業なので二人いると楽だ。半分ほど終了。夕方より「あの」廃材をやっつける。 トラックを借りてきて、廃材を積み込み河原に行く。ここでキャンプファイヤーよろしく廃材を山にする。物凄い量だ。 「こりゃ、結構時間かかりそうだね」「ガソリン持ってくればよかったね」などと話しつつ、着火。北山氏の持ってきたライターは ガス切れかなかなか着かない。ようやくの思いでショボイ火を新聞紙に着ける。「ヘタしたら朝までかかりそうだね・・・」。
一分後。炎は瞬く間にうず高く積んだ廃材の頂上まで達し、もう手が出せない。あまりの火の勢いに驚いた。さすが60年前の木材である。 すっかり乾燥していたんだね。住宅火災ってこんな感じにアッという間に燃え広がるんだろうね。途中ミチカちゃんが夜ご飯を 持ってきてくれた。ハヤシライスだ!「ワシ」のナポレオンも持って来てくれたので、焚き火の火で湯を沸かしお湯割。至福〜。 更にリンゴと芋をアルミ箔に包んで持って来てくれた。流石気が利きますな。気分はすっかり野営。 炎は21時にはすっかり燃え尽きた。火の力恐るべし!
31日は残りの石膏ボードを貼り終了。ワシが家吉で使っていた便器と風呂釜を取り付ける工事は今回はできなかった。
夜は北山家と同じ団地に住んでいる≪イカダ夫妻入籍お祝い会≫をイカダ邸で開催。この団地の住民ら18名(犬含む)が集まった。 この団地、住民全員「よそもの」という面白い空間。独自の文化を築きつつある。皆、この奥多摩に魅せられ移り住み、 林業や観光や創造で生業を立てている、面白い連中ばかり。まるで個性の百貨店だ。過疎の町奥多摩ではあるが、ここ日原だけは 平均年齢が若くなっている。この日原、愛称「ニッパ村」を題材にマンガ描いたら、ほんと面白いと思う。早晩誰かその道の人の 心の琴線に触れ描いてくれることだろう。
ワシも大いにはしゃいでしまった。タイゾーは最初こそ大はしゃぎだったが、20時になるとあの喧騒の中スヤスヤ寝てしまった。 保育所でのお勤め、さぞや厳しいんだね。御苦労さんです!
とにかくワシの宴史にのこる素晴らしい宴だった。人よし!料理よし!そう、料理は持ち寄り製だったが、ケータリング屋や 料理人もいるし、それと各家庭の奥方の料理の上手いこと!(エミ氏含む) 独創的で洗練されていて美味い! 皆、相当宴慣れしていると感じた。ニッパ村!万歳!!
イカダ夫妻。ご結婚おめでとう!

●2006年10月28日 益子行

「落ち着いたら益子に行こう」とエミ氏と話していたのが、ようやく実行できた。陶器を見たい、と言うのもあるが、最近益子周辺は なにやら若い作家さん(主に陶芸)が多く移り住み活気みなぎっている、という噂を耳にしていた。洒落た店も増えているそうだ。 これはちょいと偵察に行かなければいけない、と思っていたのだ。
極上の行楽日和。快適にステ吉を飛ばす。東京からさほど離れてはいないのに、このあたりは濃密に「里山」の雰囲気を残す。 懐かしくてホッとする風景が広がる。重厚で大きな瓦屋根の手入れの行き届いた古民家も数多く残る。気持ちよし。
焼き物の店は集中していて、そんなに大変な移動量ではない。子連れでのんびり店めぐりできる。 ワシらは予め目星をつけていた三軒を見た。
まず一軒目はカフェ、雑貨、ギャラリーの店 『STARNET』 。 この店を知ったのは、エミ氏の実家の近所にエミ氏行きつけの美容院があり、その店の内装がとても瀟洒で、 「それを手がけた人の店が益子にもある」ということから。
ギャラリーではある作家さんの焼き物の個展を開催中。しかしワシは申し訳なかったが、作品が置かれている什器(四方棚や卓)、 部屋の雰囲気、照明、極太の柱や梁等々を見ることに忙しく、作品は全く見ていなかった。雑貨部門でも什器、建具、壁材、照明、 装飾で置かれている椅子などばかり見ていた。いやー、かっこよかった。「白と黒」を基調とし、ごく簡素に仕上られた内装は 非常に『エミケン』好み。力点(アクセント)で御影石を使っているところが憎い!使われている内装材は素材感を うまく引き出した加工が施されている。石、木、土、鉄。やりますな。
次に 『moegi』 と  『陶庫』 、ふたつの焼き物の店を見る。他にも多数お店はあるが、 「ケン部門」のお客様の陶芸の先生が「この二軒だけ見ればいいよ」と教えてくれた。流石に洒脱な店内だった。
その後、益子の隣、真岡市に住む友人の陶芸家 勝村顕飛氏 と 川島いずみさん ご夫妻のお宅を訪ねた。 初訪問である。益子まで勝村氏が迎えに来てくれた。ありがとうございます。
「どんな場所で作っているのだろう?」物作りをする人を訪ねるときの最大の楽しみがこれである。 車で走ること20分。「お客様駐車場」?「レストラン・流しそうめん」?なに、このドライブインの廃墟みたいなだだっ広い場所は? どこに連れて行くの?この敷地の中に住まいがあるの?あの立派な古民家?それともあの立派な御影石の蔵? それとも「流しそうめん」?なんだか怖くなって来たよ。
なんと「全て」だそうです。敷地約3000坪。かつてここは「釣堀ドライブイン」だったそうです。古民家が住まいと作陶場。 「流しそうめん」の約50坪が窯場。そのまんま、カフェでもショールームでもギャラリーにでもなるような、超かっこいい蔵は 手付かず。忙しくてまだ手が付けられないそうです。いやー、あるんだねぇ、こんな物件が。 家賃は教えてもらったけど秘密にしておきます。卒倒してしまうから・・。
お二人の作品はもちろん以前から知っていたけど、益子を見学して改めて彼らの作品を見ると「一番いい!」と強く思った。 作風自体がワシとエミ氏の好みと会うというのはもちろんの事、やはり「作者を知ってる」と言うのは何物にも勝ると思った。 益子では焼き物が多すぎて、だんだんそれらが風景に見えてきてしまい、一つの物に注目することができなくなってきた。 注目させるきっかけがあればじっくり見られるとは思う。その「きっかけ」と言うのが「知ってる作家」ということなのだろう。 作家を気に入ってもらえなければ作品も気に入ってもらえない。これはモノ作り全てに通じる。肝に銘じておこう。
軽く近況報告や将来の展望などを語った。何度も言ってるかもしれないが、夢のある人と会うと本当にやる気がみなぎってくる。 人の気持ちとは一方通行ではないから、彼らもそう思ってくれているに違いない。短い時間だったが、素晴らしいひとときだった。 機会があれば今度はじっくり語り合いたい。お土産に湯飲みとどんぶり頂いてしまいました。嬉しいです!
実はこの頂いた「いずみちゃんの湯飲み」。益子で唯一ワシが「いい!」と思ったものでした。作家名は無記名で置いてるのだそうです。 「またまた〜」と思うかもしれないけど。これホント。「じゃ、買えよ!」って?「いい」と思ったのだけど 「これに取っ手があれば・・」だったのです。だから、ここに来て「あの湯飲み」があったのはびっくり。 いずみちゃんも喜んでくれたのが嬉しかった。「かっちゃん(勝村氏)ファンのケンさんにようやく気に入ってもらえた」と。 恐縮です・・。
取っ手付の「ケン仕様」も後日製作してくれるそうです。だから二つお願いして、更に裏に「エミケン」と書いてもらうよう お願いしてしまった。楽しみにしております。本日はありがとうございました!

●2006年10月25日 マミちゃん来城

マミちゃんが来てくれた。今日も改装工事を手伝ってくれると大ハリキリだったが、先日の納品以来ワシは燃え尽きてしまったようで、 ぶっつぶれている。本日も「仕事以外のことがしたい」病になっていたので、マミちゃんには「エミ部門」のお仕事を少しばかり 手伝ってもらった。次回12月のデザイン・フェスタからエミ氏社会復帰いたします。そのための作品作りが始動していた。エライっ!
昼まで仕事を手伝ってもらいマミちゃんとエミ氏で昼食作り。ワシは床で横たわったまま。なにやらカレーのいいかほりがしてきた。 カレーうどんだっ!カレーうどんとくれば、やはり河原でしょ。俄然元気が出てきたワシはいそいそと働き出す。 と言っても、カレーうどんの鍋とシェラカップと水筒のお茶を持って河原に下りるだけ。お手軽行楽ですな。暑からず寒からず、 丁度いい陽気。表で食して大正解。なんだか眠くなってきてしまった。
昼食後、元気の出てきたワシは折角なのでマミちゃんを 「カヌー接待」。乗馬をたしなむだけあり、 いやいや初心者とは思えないお手並み。お上手!均衡(バランス)感覚がいいんだね。さすがに16時を過ぎると寒くなってきたので、 次回はもっと広い白丸湖で「カヌー接待」ということにして、本日は終了。
なんだか元気が出てきたよ。夜はワシの得意料理 「たこ焼き」 だ!得意と言っても焼く専門。生地作りはエミ氏と マミちゃんに一任。「木工酒場」にてたこ焼き会。いと楽し。素敵な宴でした。次回はまた違う趣向でやりましょう。

●2006年10月22日 濃密な日

お泊りしたモミ、フミ、アツと朝食をとり、アツ君に本日納品の<食卓>の車への積み込みを手伝ってもらい、10時頃別れた。 彼らは本日も充実の休日を過ごすべく、 山梨の 『小菅の湯』 へ向かった。 皆さん、ご来城本当にありがとう。また近いうち『奥発会』第二回会合、開催しましょう。
ワシら(エミ、タイ、ケン)もその後納品に出発。 目的地は以前 <組立て式机>  を納品させていただいた吉祥寺のお宅。 今回は <食卓>  を納品させていただいた。まさに「注文家具屋ならではの仕事」をさせていただいた。この家のためだけの、 市販では絶対見つからない仕様をいくつも盛り込んである。詳細は「ケン部門 特注商品」にて。
予定通り13時着。このお宅には4歳の男の子と9ヶ月の女の子がいる。ワシが組立をしている間、 タイゾーはたっぷりお兄ちゃんに遊んでもらっていた。「うう。ええ光景やなぁ。」
食卓設置も無事終わり、早速その食卓で吉祥寺の有名なナントカというお菓子屋さんのケーキをご馳走になる。「これでようやく お客さんを招待できるわぁ。」と奥様。新居に移り住んで以来ずっと、キャンプ用の折りたたみテーブルで生活していたそうで、 客を呼びたくても呼べなかったそうです。すっかり納品が遅れてしまって申し訳ありませんでした。すっかりゆっくりしてしまい 16時頃おいとまする。お邪魔いたしました。新居お披露目会にも誘っていただけると言う事で、楽しみにしております。
その後エミ氏の要望で吉祥寺の『ユザワヤ』へ。吉祥寺駅前の駐禁の取り締まりは噂どおりすごい徹底ぶりだった。 噂どおり駐車場も満杯なのでワシは路駐して車中で待機していた。でもおかげで以前に比べ快適な街になった気がする。
買い物後やはり以前 <低卓> を 納品させていただいた、同じく武蔵野市内の、  料理研究家 上田淳子 さん のお宅にお邪魔した。 このお宅にはどうしても料理好きのエミ氏を連れてきたかった。ここでもタイゾーは双子の小学4年のお子さん、将範くん(マサ)、 和範くん(カズ)にたっぷり遊んでもらった。「うう、(あ、もういい)」。
マサはワシらに玉子焼きをご馳走してくれた。お世辞ではなく本当に美味い!エミ氏とワシで言葉を尽くさなくても、 タイゾーが「うまうま」言いながら、高速で次々と玉子焼きを口に運んでいる姿を見て、マサは喜んでくれたようだ。 「タイゾー、でかした!」
その間カズの姿が見えなかった。「上でマンガでも読んでるのかな?」と淳子さん。しばらくして「作ってきたよー!」と カズが下りてきた。手には現代美術的な「ナニか」。しかしワシらに見せたい一心で作った事がその目とモノに現れている。 ワシは瞬間涙が出そうになった。「この子らは、なんて客のもてなしを心得ているのだろう。」 淳子さんとの会話の端々にも 淳子さんの料理を通じての子育て哲学を垣間見、うすうす感ずいてはいたが、素晴らしい家族である。大いに勉強になりました。
本当に今日は濃密な一日だった。人と会うのってホントに楽しい。 タイゾーも今日は相当たくさんシナプスがくっついたんじゃないだろうか?夜鳴き必至ですな。

●2006年10月21日 『奥発会』 第一回会合

友人三名が氷川城に来た。以前デザフェスで知り合ったスペインタイル作家  『アトリエ・ギーニョ』 の モミちゃん、 その友人 フミちゃん、フミちゃんだんな アツくん。アツくんは前職は家具職人で、「いつかは独立!」の夢を 今もメラメラと燃焼させ続けている。モミちゃんとデザフェスで出会って以来「いつか木とタイルで何かしよう!」と話しており、 今回ようやく 第一回 『奥発会』(奥多摩から物づくりでナニかを発信する会--仮名) を開催し話し合いができた。
折角奥多摩に来たので、昼間軽く「体験カヤック」でもてなす。もてなすと言ってもワシは始めに軽く指導をした後は放置。 最初から「あーだこーだ」言ってもできるものではない。体感し慣れてもらうしかない。案の定四苦八苦していた。しかし内心ワシは 「なかなかコケないねぇ」と不満だった。
さ、そろそろ寒くなってきたし、上がりますか、と思ったその刹那。フミちゃん、沈!(沈:カヌー用語で「沈没」)フミちゃんは 律儀にカヤックとパドルを持ったまま、流れと岩の間に挟まっていた。「離していいよ〜」。離したとたん流され、一瞬流れに飲まれ 沈んだ。全く安全な場所だがパニックが怖い。すぐワシも泳いでフミちゃんを確保し浅瀬まで泳いでいく。その後流れたカヤックと パドルを追いかけ寒中水泳。いやー、冷たかった。でも気持ちいい。スキーと同じで「転べば転ぶほど上達する」競技なので、 今回はフミちゃんが皆よりも一つ上の域に達しましたな。お疲れ様。
その後、皆で宴の準備。屋外でBBQを開始するも、ポツポツ降りだす。急遽城の地下に移動。ここは普段木クズ置き場にしているが、 最高のBBQ場だったね。その後更に会場を「木工酒場(バー)」(工房)に移す。ランタンの明かりだけで照らされた工房のなんと 美しい事か。普段蛍光灯に照らされ味気ない木工機械も、ランタンの明かりだと怪しく美しく暗闇に浮かび上がる。 ワシの愛する機械を眺めながら、夢多き連中と酒を飲む!「至福〜!!」すっかり遅くまで語りあった。本当に有意義で楽しい ひとときだった。『奥発会』第一回会合、大成功ですな。

●2006年10月20日 シンガポール進出!

シンガポールのテレビ局 が取材に来た! 「何故に?」と問われるとワシも教えてもらいたいくらいなのだが、クチコミでここまで 来たらしい。遠路はるばるありがとうございます。
彼の地でも最近「脱サラ」と言うか「若者が夢に向かって事を始める」という風潮がでてき、このような番組は流行なのだそうだ。 国が平和で少しゆとりができると、若者は色々な事をしたくなるんだね。それが「文化」を生む。「江戸現象」ですな。 シンガポールなんて非常に豊かだから、もうとっくにそういう時期を経ているかと思ったが、これからだったんだね。素晴らしい!
ひとことで説明すると「サラリーマン時代にはない、今の自慢話」ですな。ワシはなかなか自慢をツラツラと語るってのが得意ではない、 と言うか、ワシの美学に反するので戸惑ったが、「まぁ知り合いは見ないだろう」と腹をくくって語った。「仕事の合間にカヌー だってできるんだ!」とカヌーもやらされた。「子供との遊び場は自然の中さ!」とタイゾーと一緒に川に石を投げた。
でもとても楽しかった。明日はたまたま遊びに来る友人たちとのBBQ場面を撮影するそうです。皆様、放映をお楽しみに!! (見れねぇ)

●2006年10月12日 本業再開!

先週末の大雨の影響で、多摩川は大増水だった。ようやく水が減ったのでタイゾーと久々の河原散歩。すっかり河原の形が 変わってしまった。ゴミや雑草や泥が流され、きれいな玉砂利の河原になっている。自然の川ってのは、 こうやって自分を定期的に浄化するんだね。そして泥や砂は海に流れて行き、健全な砂浜を形成する。これが自然の行い。 最近、海の砂浜が減った、なんていうニュースを聞くが、これは全く持って人災以外の何物でもない。 ダムや砂防ダムをあちこちに作ったせいで、土砂が堰き止められる。渓谷にも土砂が堆積し浅くなる。 河川流域に住む人々はこれで地形が変わらなくて済んだ、と安心している。果たしてそれで本当に自然は納得してくれるのだろうか? ワシはそう思わない。自然のお通じを抑制してタダで済むはずがない。各地でおこる些細な雨での土石流はまさにそのせいだ。 ちゃんと自然はつじつまを合わせようとするんだね。
あ〜あ〜あ。話がとんでもない方に行ってしまった。タイゾーは流木を拾って大喜び。増水の後のお楽しみは、なんと行っても 流木拾い。ワシも既にいっぱい拾ってしまったもんね。でもご近所の流木作家さんは増水中から物色してたね。流石です。
 さて、本日より待望の本業再開。本当はもっと工房を完璧に仕上てから再開させたかったのだが、そういうわけにもいかない。 お客様をすっかりお待たせしてしまっている。もうしばらくお待ちください。しかし、勝手の違う、道具はダンボール箱、 という工房のなんと作業のしにくいことか。でもこの作業の一つ一つが、より良い工房に仕上てくれるんだね。尺蠖尺蠖!

●2006年10月6日 「ニッパラ城」改装

前出の「ニッパラ城」改装に助っ人として5日、6日と参上してきた。
5日、作業初日なので玄関に「盛り塩」をする。さすがだね。こういうの大事だよね。ワシはしなかったけど・・。まず最初の作業は 壁と天井の撤去。生憎の雨天だったが関係なかった。ふたりで埃まみれになりどんどん、ブッこして(奥多摩弁:ぶっ壊す) いった。なかなか快感である。夕方にはほぼ撤去終了。今までかなり狭く圧迫感のある空間だったが、相当広くなった。 廃材が相当量でたが、雨なので燃やす事が出来ず、これがやっかいだ。明日晴れれば良いが。
夜は現北山邸に泊まる。本日の労働のご褒美は、北山氏の奥方ミチカちゃんの手料理と「ナポレオン飲み放題!」でも明日も作業だから ほどほどにね。
明けて本日、天気はと言うと、昨日にも増して激しい雨。いいね。ゴミ燃やしは断念。本日はもう一人 奥多摩の星 イカダ君  も合流。主な作業は、
・壁を撤去し、弱くなった建物に「筋交い」をいれ補強
・「秘密の小部屋」の内部造作物撤去
・掃除
本日ほぼ「負の作業」終了。早かったね。まだ廃材が燃やせないのが心残りだが、これはボチボチやってください。 ここからは芸術家、北山氏の感性の見せ所ですな。楽しみ楽しみ。
夜はまた北山邸にてイカダ夫妻(再来週入籍!)、エミタイも交えにぎやかに宴会。ミチカちゃん、ありがとうございました。 またお手伝いに行きます。

●2006年10月2日 祝!正の作業

今日はようやく「正の作業」ができた実感がした。ワシが勝手にそう呼んでいるのだけれど、「正の作業」に対して「負の作業」もある。 これは「壁の撤去」や「床はがし」「天井はがし」「照明はずし」などなど新たな理想空間を作るための前作業みたいなものを言う。 これらも実は正の作業ではあるのだけれど、肉体的にも精神的にも結構地道で時間も労力もカネもかかる作業だ。ゴミも大量に出る。 このゴミの山をみるだけで「あー、先は長いなぁ」という気になる。
ワシの心がけていることに「段取り八割」がある。どんな事柄も途中を省略せず、横着せず、時には「意味あるの?」と思うような作業も しっかりこなすことにより、最後の二割でようやく華やかな作業が出来る。華やかと言うか、楽に作業ができる。 「急がば回れ」みたいなもんですな。で、最後の二割が言わば「正の作業」にあたるのだろう。
そして本日ようやく「正の作業」が開始出来たわけだ。長い道のりだった。今日はまた まみちゃん が助っ人に来てくれた。 看護婦さん(今は看護師?ワシはこの呼び名好かん)という忙しい仕事の貴重な休日を『エミケン』のために捧げてくれる。 本当に感謝です。ありがとうございます。で、今日はまみちゃんには「壁材のペンキ塗り」をしてもらった。
新工房の壁は現在何も張っていなく、外壁が見える状態である。工具類を壁にぶら下げる都合上ある程度ネジ釘のきく壁が必要である。 そこで、一番安い9mmのパーチクルボードを張ることにした。全部で70枚ほど必要である。パーチクルボードとは木材を チップ状にしたものを接着剤と一緒に圧着して板にしたものである。見た目は木材のパッチワークといった感じで、雰囲気はいいが、 壁一面となるとかなり目にうるさい。更に工房全体を明るくしたいと言う意味もあり、真っ白に塗ることにした。 その作業をまみちゃんにお願いした。黙々と丁寧に一枚一枚塗ってくれた。泣き言一つ言わず、黙々と。 たまに「もっと楽かと思いました」などとボソッと言う。うう、無理しないでね。
ワシはと言うと、本当は機械が入る前に終わらせてしまいたかった「床のコンパネ張り」をした。約30坪の工房の床半分には 既にコンパネを敷いてある。その上には機械が載っている。敷いたコンパネはこのままではパタパタするので、 全てネジで止めなければいけない。それがまだ終わっていなかった。ネジと言っても下がコンクリートなので、まず振動ドリルで下穴 を空け、次にコンパネに皿座ぐりを施し、最後にコンクリート用のネジで止めていく、と言う作業だ。コンパネ一枚に15箇所のネジが 必要なので、15坪だと30枚なので450箇所。もう半分の床も後日やるので900箇所この作業をやる。ふふふ・・。 振動ドリルの音がまた物凄く、これがかなり神経に触るんだよね。一日15枚分が限度ですな。
まみちゃん、大騒音の中でのペンキ塗り、お疲れ様でした。おかげで非常にはかどりました。まみちゃんは19枚にペンキを塗りました。 いつかゆっくり遊ぶためだけに来てもらいたいのですが、でもまだそれはかないません。もしまたお願いできたらたのんます!!! ありがとうございましたーっ!!!!

●2006年10月1日 「日報」復活!

あれ!?秋?
皆様、大変ご無沙汰いたしました。そしてお待たせいたしました(待ってない)。「エミケンはつぶれたんじゃないのか?」とご心配の 諸兄もおられたと思いますが、まだ健在です。城を持つというのは大変なことなんだなぁ、と痛感いたしております。 このくらいの規模で「城」というのもおこがましい(などと珍しく控えめな事も言ったりしてしまうのですが・・)が、 それでもこんなに大変なのだから、大阪城なんてさぞかし大変だったろうなぁ(ますますおこがましい)。
前口上はいいから進捗を教えろ、って?了解です。
タイゾーはこんなことするようになりました。どうも奉仕精神が旺盛のようです。人にウケると何度も同じことを繰り返す。 この「ガラスネタ」も、ウケたもんだから何度も披露してくれた。エミ氏曰く「ケンそっくりだね」。ワシもそう思う・・。
え、城の進捗?了解です。
白丸の工房(旧工房)からの荷運び、9月中に完了させる予定でしたが、ちょいと遅れ10月にずれ込んでしまいました。 「10月分の家賃は払いたくなかったなぁ」とあせっていたところ、大家さんが「9月中無理でしょ?ちょっとくらいなら遅れていいよ。」 という温かいお言葉をいただいた。ホント感謝です。でもなんとか本日、最後の荷運びをステ吉(ステップW.G.N)にて数回行い、 あと単車一台というところまで漕ぎ付けた。ここで雨が降り出したのと、流石に疲労困憊とで明日に持ち越す事にした。 「写真下」はガランドウになった白丸工房です。長い間ありがとう。
と、こんな感じです。8、9月の状況はヒマをみて更新しますので気長にお待ち下さい。日記は貯めちゃいかんね。


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