弥生
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●2008年3月29日 日刊 タイゾー
きょうはせたがやまではなみにいったじょ。おくたまはまだぜんぜんサクラさいてないのに、げかいはまんかいだな! うれしいじょ!
みんな、
「のんだらのるな!のるならのむな!」
たいたいからのおねがいだ!!

●2008年3月24日 エミケン森研東京の庭

先日ひょんなことから知り合った  『叶Xのエネルギー研究所』 (以下「森研」)のカメヤマさんと サノさん。熱い語らいの中で、彼らの目指すものと、我が 『東京の森』 のそれとが同じ価値観を共有できそうだと 感じ取ることができた。そして「これは無料冊子三人娘に会ってもらうべき」と思い、本日皆で顔を合わせる機会を得た。
ご存知 『東京の庭』 は今年度末で奥多摩町からの助成金も切れ、存続の危機に直面している。その窮地を森研のお二人が救える 可能性がある。詳細はまたいずれ形になった段階で報告するとします。
現在日本の森林部と都会部との人や物の交流は希薄な気がする。都会の人にとって森は憧れではあるが、どうもマニアな世界な 気がし、気軽に入りにくい。例えば雑誌などで森で働く若い人が紹介される。とても興味は湧いても 「よし、じゃあ今週末この人に会いに行こう!」とはなりにくい。多くの人が、退職金で田舎に終の棲家を作る、 脱サラして田舎で家具工房を始める・・等の覚悟がないと森林とお近付きになれない、と考えているに違いない。直結ではないが、 そういうことが森林の荒廃につながったり、ひいては花粉症の源になったりもする。
都会の人が森林部に観光で来た時、もっと地元の人との交流の場、きっかけが作れないだろうか?もっと森林部の人間臭いナマの情報を 発信できないだろうか?もっと森林部の人に自信を持ってもらうにはどうすればいいだろうか?
そんな価値観が一致した。会社組織が我々に興味を持ってくれたということは、この分野がビジネスにつながるということである。 しかし、はなからカネ目的だけではなかなか上手くいかないだろう。「愛」と「情熱」が必要だ。そんな熱いものを森研の お二人には感じた。
今回どういう方向に進むかは全く持って未確定ではあるが、新しい分野に挑戦する人達とこの段階で知り合えたことはとても嬉しい。 カメヤマさん、サノさん、そして三人娘。大いに楽しんで道を切り開いて行きましょう。今日はとても有意義な一日でした。 ありがとうございます。

●2008年3月23日 またも初・体・験

やもめ最終日。本来は父ちゃん日だけど、寸暇を惜しんでお店作り。と、思ったいたのだが、急遽 レンジャーのイクト君  からお誘い。なんと 岩登り
かねがね興味はあったが、あんなに道具をたくさん使う危険極まりないスポーツ、一体どうやって始めればいいのだろう?と思っていた。 その気になれば手段を見つけることは出来たろうが、はなから出来ると思っていなかった。考えてみればカヌーもそんなスポーツの 一つかもしれない。そんな貴重な初体験が急に実現した。
桧原村の つづら岩。登山口より歩く事一時間強。久々の登山であまりに気持ちが良く、喋りっぱなしでうかれまくっていた。 そして突然その岩は目の前に現れた。正直帰りたくなった。あまりの巨大さ、圧倒的さ。ワシには「40mの垂直なただの壁」 にしか見えなかった。いや垂直どころか覆いかぶさっているように見える。傍らには小さな「××君、安らかに眠れ」の慰霊碑。 これナシでしょ。武者震いなのか、恐怖なのか膝が震える。自分で抑えられない震えなど、いつ以来か。もしくは初めてか。
自分でも驚くほど真剣にイクト君の講習を聞く。ジョギングシューズ、カヌー用ヘルメット、そして安全ベルト(これは本職用) を装備しいざ開始。イクト君がはじめに「支点」を確保しながら登る。これは万が一滑落しても所々に設置した支店にザイル (ロープの事)が引っかかり、地面に激突しない大事な物。そして最終地点に大掛かりな支点を作り、下りてくる。下りてくる際 途中の支点は回収してくる。そして着地。こまごまと書くと膨大になるので割愛。
ワシの番。登れるところは登れる。これは当たり前。しかし登れそうにないところも登らなければいけないのがこのスポーツ。 そんな場所がすぐ現れる。ワビサビはない。下を見る。地面がはるか遠い。来てはいけない場所にいる。下で眺めていた世界とは まるっきり別世界。岩に張り付く。視野は目の回りだけ。頭上の岩はすべて天井のよう。岩から身体を離し、手足の先を見ることなど できっこない。だから手足を確保する場所を見つけられない。この上に行くことなどとても出来そうにない。手脚が悲鳴を上げ始める。 ザイルで安全を確保されてるとはいえ、とてもあきらめて手を離すことなどできない。こんな高さで宙ぶらりんになった経験なんてない。 そんなこと人間がしていいわけがない。死んでも登るのだ。しかしいつまでも同じ場所から動けない。ふと、「落ちてもいいかな」 という気持ちになる。極限になると人は結構簡単にあきらめられるのだろうか?精神力を総動員。小さな手がかりを見つける。 登れた!安全な場所に立ち、下をみる。鳥瞰(ちょうかん)とはこれか。丹沢と箱根の山並みの向こうに真っ白な富士山。まるで天狗。 声が震えるほど興奮してるのにやたら冷静でもある。なんだこれ?楽しさが分かった気がした。下りはザイルに全てをゆだね エレベーターのように下りる。信じられない。気持ちいいが、気持ちよくない。
こんな感じでいろいろなルートで「遊ぶ」のだ。慣れてくるに従い力みもとれ、視野も広くなる。技術的なものも大事だが、それ以上に 精神的な面がとても重要な事がわかった。それが楽しさの源。そして簡単ではないところ。そしてリスクのあるところ。これは全て カヌーに通じる。更に「個人競技」であることも。
総評:完全にハマった。まずはマイシューズ、マイベルトですな。イクト君、このスポーツを教えてくれて本当ににありがとう。 筆舌に尽くしがたい感謝の気持ちです。ワシ、いい子にしてるのでまた連れて行ってください。

●2008年3月22日 やもめ

東デラの翌日、ワシだけ帰城。久々のやもめ生活。カレーは充分ある。米もある。兵糧はよし、と。
時間を有効に使えるこの好機に、かなりご無沙汰だった お店作り を再開。あと半分の「柿渋塗り」「ペンキ塗り」 「床貼り」作業が残っている。
今日は実に気持ちいい晴天。土曜日とあり、車、バイク、自転車、徒歩と、たくさんの楽しそうな人々が氷川城前を通り過ぎる。 ああ、いよいよ観光の季節到来!早くお店を完成させなければ!!いやが上にも作業に熱が入る。興味深げに覗きこんでいく 人もちらほら。完成しても覗き込んでね〜。
今日は「柿渋塗り」。4分の1ほど塗れたろうか。先はまだ長い。しかし、動いてればいつか終わる。これは間違いない。 広い店だ。嬉しいがキツイ。ガバレガバレ。
しかしほんと気持ちいい。やはり春が好きだなぁ。

●2008年3月19日 初・体・験

ワシ、とうとう初体験してしまった。そう、あの 東京ディズニーランド (以下「東デラ」)へ行ってきた! もちろんタイゾーも初体験。エミさんはベテラン。
シンガポール旅行に行った時こんなことがあった。タクシーの運ちゃんに「ニホンカラキマシタ」と告げると、運ちゃん大喜びで 「ワタシディズニーランドイッタコトアリマース!!!」と共通の話題を見つけ大喜び。満面の笑みでワシの言葉を待っている彼に ワシは「スミマセーン、ワタシイッタコトアリマセーン・・」。その後の車内のムードの残念なこと。
苦節38年、とうとう夢がかなった・・・。いや、実は食わず嫌いだった。東デラの人気はかねがね伺っていた。 年がら年中大混雑という事も伺っていた。ワシはこの世で何が嫌いって、人ごみと渋滞ほど嫌いな物はない。東デラは「人ごみ」の 代名詞みたいなもの。「いつか人気が下火になったら行ってみよう」と思っていたがなかなか下火にならない。それどころか隣に  「東デシ」 まで出来てしまい、ますます人ごみは激しくなるばかり。「あー、ワシはきっと一生行くことはないな」と 思っていた。しかしエミさんの「三歳以下無料!」という殺し文句と、日頃のエミさんの労をねぎらう意味で奮起した。
人ごみはやはり噂以上。行きの電車から物凄かった。タイゾーと身重のエミさんがつぶされないよう踏ん張る事30分。ワシの上腕二頭筋 と三角筋は悲鳴を上げ、額からは滝のように汗が流れ、タイゾーの目は焦点を失っていた。園内でもタイゾーを肩車、寝れば抱っこ。 荒行ですな。しかし夢のように美しい園内、全身プロ魂のスタッフ、妥協のない施設。ワシはもう感心しきり。特に建物や調度品の 古びた仕上げは既に「芸術」の粋に達している。物凄い細かいところまで観察してしまい、ちょっと「ヘンな人」になっていたに 違いない。
総評:「一度も行かぬバカ、何度も行くバカ」。しかし、妻と子のあの喜ぶ姿を目の当たりにしてしまうと「何度も行くバカ」 でもいいかと。

●2008年3月18日 納品

船橋市のお客様に  <文机> と  <机> を納品してきた。 奥様は机、ご主人は文机をそれぞれご注文いただいた。ワシの親より若干先輩のご夫婦。永年連れ添った夫婦とは言え、 やはり好みは別れるものなのだなぁ、ととても微笑ましい思いで作らせていただいた。
納品してそれぞれご自分の注文品と初対面。「やっぱりタモの木目はきれいだなぁ」とか「ウォールナットは重厚でいいわね」など 自慢しあっている。この上なく嬉しいひととき。意匠はもちろん、材料や仕上げ方法も選べるとなるとやはり悩まれるようで、 またその悩んでいる時がとても楽しいようで、打ち合わせ時お二人で、あーだこーだと材料見本を見比べていたことを思い出した。 「なんかこの仕事、いいなぁ。」と思った。
この度は本当にありがとうございました。「白波原酒」物凄い嬉しいです。重ねてありがとうございました。

●2008年3月17日 すわ!

あれ!ワシの知らないうちにエミさん、もう産んでしまったのか!!仕事から帰ってくると(と言っても作業場は扉一枚隔てただけ)、 エミさんが赤子を抱いて乳をあげているではないか。確か、予定日は6月のはず。立ち会いたかったのにぃ〜。 ・・って、引っ張りすぎ?
キタヤマ家のルナちゃんをちょっと預かった。予行演習ですな。もぉ〜、可愛いったらない。イクト君には内緒だけどワシ、 添い寝しちゃったもんね。チューは我慢したよ。三ヶ月だろ。我家も9月にはこういう状態のが一匹増えてるんだよなぁ。 早いよなぁ。

●2008年3月16日 不敬会豚汁会

初夏のような陽気の中、「不敬会豚汁会」を無事行う事ができました。準備段階から協力してくれたエミさん、コズエちゃん、 サナエちゃん、ユキコさん、ナカイさん、ありがとうございました。
大人13名、子供(乳飲み子含む)19名という大所帯。しかし会場の「登計っ原公園」は子供たちを勝手に遊ばせておいても安全、 大人も子供も大いにゆっくりできた。子供たちはいつもの収容所での遊びと違う、「無制限パワープレー」に大はしゃぎ。子供の中でも 年上の者が小さい子供を面倒見ながら、色々なルールを作り皆がのびのびしている。立派な社会が形作られている。 親たちは子供たちのそういう姿を実はあまり見ていないので、新鮮かつ微笑ましくかつ頼もしくかつ嬉しく眺めていたに違いない。
親同士もなかなかこうやってゆっくり語り合う機会がないので、今回いろんな発見があったようだ。同級生の親もけっこういて、 不思議と嬉しいもので、そこから話題が膨らんだ。ワシと同級も4名いたが、4月生まれのワシはこの場でもやはり僅差で最年長 になってしまった。ま、いっか。
参加してくれた皆さま、本当にありがとうございました。おかげで大大大成功となりました。気をよくしたので今後も色々企画したいと 思います。ご協力よろしくお願いいたします。

●2008年3月15日 豚汁会準備

明日の 「不敬会豚汁会」 準備のために サナエちゃん と コズエちゃん が来てくれた。ありがとう。
保育園に通う子供たちの父兄同士が交流する場は少ない。朝夕挨拶を交わしてはいても、実は名前を知らない、なんてことも普通。 送迎の際に積極的に自己紹介するも、同じ時間に顔を合わせる親御さんはいつも同じ。父親となると顔も見たことない人が大半。 なんだか寂しい。
そこで荒澤屋のコズエちゃんと豚汁会を企画してみた、というわけである。さて、明日はたくさん来るかな?

●2008年3月9日 父ちゃん日

今日は父ちゃん日。久々に遠出した。
ここはドイツ南部バイエルン州にあるグンマ県。アウトバーンをマエバシで降りる。ここからロマンティック街道を走り  アカギ山 へ向かう。マエバシの街中から緩やかな裾野を上るにつれ明るく開放的な景色に変わる。 更に上ると道の両側に森が現れてくる。奥多摩と違い、明るい松の木の森だ。実に気持ちいい。バイクで走ればもっと気持ちいい だろうな。
更に進むと緩やかな裾野が終わり、勾配のきついつづら折の道になった。森の様子も変わってきた。白樺の森である。 そして雪が目立ってきた。道は除雪され快適だ。更に上り峠に出た。標高約1300m。雪で覆われた一面の白樺の森。美しい。 来てよかった。
峠を越え凍った道を下ると小さな湖があった。全面結氷し実に美しい。湖面には色とりどりのテントが立っている。ワカサギの穴釣りだ。 ワカサギのから揚げはドイツ人も大好物。「ああ、これがボーデン湖かぁ。この向こうはスイスとオーストリアなんだなぁ。」。 あまりに素敵な森と雪なのでここでタイゾーと遊ぶ。ソリを持って来てよかった。しかしジーパンで遊ぶには雪が深すぎた。腰まで 雪がある。すぐにびしょびしょになった。それでもタイゾーは子犬のように大はしゃぎ。ああ、来てよかった。流石に寒くなってきた。 この場を後にする。ここから先はノーマルタイヤでは厳しそうなので来た道を戻る。
途中小さな田舎町があった。広大な裾野の南斜面に位置する日差したっぷりの暖かな町。遠くマエバシの街を見下ろせる。 広場のベンチに座りエミさんが作ったサンドイッチで昼食。ドイツに来たらやはりビールとソーセージ。売店で買ってくる。 この町の地ビール 「アカギコウゲンビール」。うむ、日本のピルスナーと違いアルトビールはやはり美味い!味があるね。 黒褐色で泡がきめ細かく、上質の甘みのあるフルーティーなビールだった。父ちゃんはあまりに気持ちよく、そのままベンチで昼寝。
その後町を散策、牧場で羊や牛を見る。タイゾー大喜び。100円で餌が売ってるのだが、喜んではいても怖いと見え、 餌はあげられなかった。実に可愛い。
ポカポカ村を後にしマエバシに戻る。ここに住む日本人の友人 タキ家 にお邪魔する。昨年購入した目抜き通りに建つ 新築のマンション。初めて訪れる。18階からの眺めはまるで宇宙船。アカギ山はもちろん、遠く雪をかぶったアルプスも見える。 眼下の道路にはミニカーのような車。こりゃー凄い。
豚シャブ鍋 をご馳走してくれた。タキ家が「グンマに来て唯一認めた自慢できる物」と言うだけあり、実に美味い豚肉である。 もっとたくさん賛辞を述べようと思ったのだが出てきた言葉が「うーん、クリアー!」。そんな肉だ。
今では超優秀な外科医となったタキ氏。昔ワシに「辞めたい」とか「僕も木工やろうかな」とか言ってた頃とはまるで違う目の輝き。 そして更にこれから大きな夢を実現させるべく奔走中。もうワシは嬉しくて嬉しくて。大丈夫、絶対やり遂げられる!今全ての先まで 見ようとするとあまりに険しく見えてしまうが、二、三歩前だけ見て黙々と集中して着実に踏みしめていけば、いつの間にか相当な 高みにたどり着ける!たまに50歩くらい先を見るのも大事だが。見るだけ。考え込んではいけない。
偉そうな事を言ったが、本当に頑張って欲しい。「サスパ草津」の専属医でもあるタキ氏にジョギングで傷めた脚を見てもらった。 診断、「我慢ですね」。ありがとう!さすが名医!!
タキさん、マリちゃん、そしてカナエちゃん。素晴らしいひとときをどうもありがとう。出発前には盛大に壮行会するよ!

●2008年3月8日 日原銀輪行

今日は実に暖かな一日だった。観光車も多く、仕事をしててもソワソワ。15時に仕事のキリがついたので、タイゾーと チャリで出かけようと思ったがお昼寝中。仕方なく一人で出かける。
「奥多摩湖はちょっと遠いよなぁ。結構上りだし。日原なら30分位かな。よし日原でも行くか。」ワシのカンピューター (死語?)がそうはじき出した。・・・そして・・・。日原は遠かった。果てしなく遠く高かった。車で走ると全く分からないんだな、 距離と勾配ってやつは。結局、氷川城から70分もかかった。車だと25分。標高差は約300m。距離は奥多摩湖より遠く約15km。 日原街道はほぼずっと立ちこぎ。マチュピチュだな。カンピューター玉砕!しかし日原川は美しかった。
北山家にて水をもらい、しばし休息。帰りはエミさんに迎えに来てもらおうかとも思ったが、やめた。やり遂げるのだ。 ミチカちゃん、突然スンマセンでした。
日が落ちると日原街道は危険極まりないので(山賊が出る)、重い腰を上げ帰途につく。うひょー、快調快調〜!まるでこがなくても 涙が吹っ飛ぶスピード!恐怖をこらえ更にこぐとヨダレも吹っ飛ぶ。おそらく60km/hは出てる。コーナーでは膝をする勢い! ワシのマウンテンバイクはスリックタイヤに変えてある。その端っこを初めて使った。急ブレーキは厳禁。間違いなくスリップして谷底。 記録:日原〜氷川城間、22分!車よりも早い!!次回はヘルメット必須ですな。あ、上りはもちろん車で。

●2008年3月7日 「そばの花」

「たまには昼を外で食べるか」と奥多摩の街に繰り出す。繰り出すと言っても車で3分。街と言っても目抜き通りは100mほど。 目抜きと言っても目を抜く程の物はない・・・。
しかしブラブラと歩くとなかなか楽しい。キャンプ場の看板、温泉やどの看板、釣り場の看板、リュックを背負った観光客、 ガイドブック片手に歩くアベック、ひなびた土産物や、時間待ちに煙草をふかす小菅村行きのバスの運ちゃん、 うっすら雪化粧の雄大な山並み・・・。我々も観光客になった気分。やはり観光の街なんだな。平日とあり人もまばら。 それがまたいい。
JR奥多摩駅2階にある 「そばの花」 に入った。奥多摩の名物アンちゃん 章ちゃん が蕎麦を打つ。 ワシは大抵蕎麦屋で腹が満たされる事はないが、ここはそんなことはない。しっかりした太目の蕎麦がタップリ。値段も破格。 ざるそば大盛−600円、山菜そば−500円、焼きおにぎり2個−100円。実に良心的。客も少なかったので、章ちゃんの夢や 奥多摩の将来などたっぷり語った。章ちゃん、いいよその夢!
ワシの場合、一日中氷川城から出ない事が多いので、たまにはこんなのも気持ちが切り替わっていい。おかげで午後の仕事にも ハリがでた。

●2008年3月3日 ヤマカワ来城

またもやビックリお客(サプライズゲスト)。4年振りか?カヌー仲間の ヤマカワ が突然やってきた。日本で土木技術の仕事 をしていたが、思い立ち渡米。コロンビア大学大学院で更なる技術の習得を終え帰国した。たまにブログを見ていたが、あまりに 楽しそうな日々なのでもう帰ってこないかと思ったよ。青い目の彼女は連れて来なかったな。皆それを相当期待していたのだが。 レクサスなんか乗ってくるから向こうで起業して一旗あげたのかと思ったよ。
いやー、ほんと嬉しかった。ありがとう。よく来てくれた。日本で働くということなので、またいつでも遊びに来てくれ。 カヌーだけはいつでも出来るから。
しかし、こうビックリお客が続くと嬉しい反面、不思議で不思議で仕方ない。ナニかあるのか?

●2008年3月2日 「東京の庭」 「にじ画廊店」

「東京の庭」の三人娘が取材に来てくれた。頑張っております。頑張っているのだが、奥多摩町の支援金が出るのも今号(3号)が最後。 4号以降の発行をどういう形で行うか、または発行が存続できるのか、という状況になっている。ワシとしてはこのまま終わらせるのは 非常にもったいないと感じる。有料になっても読みたいと思う。広告を載せるというのも一つの手。しかしすべては三人娘が決めること。 暖かく見守りたい。是非多くの激励を送ってやってください。 → 「東京の庭」製作委員会
午後は久々に下界に。帽子作家  サヤカちゃん に会った。嬉しいことに期せずして手拭作家の  コメフク も合流。前もって予定してもなかなか都合が付かないものなのに、 会えるときはこうやってサクッと会えるんだよね。今日はそういう日だったんだな。
だから期せずして5月に吉祥寺の  「にじ画廊」 で開催する  「KOMA1221 にじ画廊店」 の決起集会的集いになってしまった。よし!気持ちが新たになった。 皆が頑張ってる姿を見ると、やはり刺激をもらえる。うむ、今日もいい一日だった!

●2008年3月1日 保育園ひな祭り会 と 鈴木家ご来城

保育園は季節季節の行事を大切にしてくれてホントありがたい。大人がたいして忙しくもないのにバタバタと慌しく過ごすせいで、 省略してしまう季節の行事。餅をついたり、豆を蒔いたり、雛人形を飾ったり・・・やりゃー大した手間でもないのに、それでさえも 省略してしまう心のゆとりのなさ。省略しても思い出せばまだましか。忘れてしまっていつの間にか過ぎていた、なんてこともある。 外国人に胸を張って「ワタシハニホンジンデス」と言えるのか?
子供ができてから何度「ああ、子供を産んで(ワシは産んでないが)良かったぁ」と思ったか知れないが、こんな事もその一つ。 幼児収容所様、ありがとう。あんまりありがたいので、来年度の保護者会役員になってしまった。なんでも父親の役員は 初登場ということ。とーちゃん達、もっとガキライフ、楽しもうよ!今しかできないよ、こんなこと。
写真は保育園近所、都指定天然記念物 「氷川の三本杉」 がある奥氷川神社にて。
午後は突然鈴木家が遊びに来てくれた。急に思い立ち、昼ごろ都内を出て奥多摩に遊びにきたそう。 沢井で食事して「エミケンでも行く?」ってなノリだったらしい。実に嬉しい。この氷川城はそういう場所にしたいのだ。
奥さんの ナゴシ はエミさんの友人。ご主人の 鈴木敦秋 氏 とは初対面。なんだか凄い人らしい。
参照1  →参照2
遠路ありがとうござました。



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