長月
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2010年9月29日 奥多摩 三家族会
日原の フナコシ家 、海沢の オカベ家 、と集った。そば屋、釜飯屋と二家とも自営の飲食業。これからの秋本番にかけて大忙しになる。 エミケンはいつでも大忙し!!?その前に一発景気付けにやろう!という趣旨でもないが、この三家族で今集いたかった。

エミケンのお店に各家庭料理持ち寄りで集まる。よそ者地元がちゃんと混在した健全な宴であるにもかかわらず、ざっくばらんな意見が交わされた。奥多摩の魅力も、 地元の悪口もちゃんと話せた。こういう関係!これを求めていた!!実に有意義で楽しかった。そして飲食関係者だけに料理もすごかった。 ワシは食う専門で気の利いた描写が出来ないのが悔やまれるが、凄かった。美味かった。美しかった。もちろんエミケン代表エミさんの料理も素晴らしい。 いい嫁さんもらた。

皆さん、今日は素敵な宴をありがとう。またやりましょう!

2010年9月27日 食卓 納品
市川の サイトウ様 に食卓を納品させていただいた。

エミケンのお店にご夫婦で打ち合わせに来ていただいたのはいつの頃だっけ?奥様のお腹には赤ちゃんがいた。そして今日伺うとかわいい赤ちゃんを抱っこしていた。

ご主人はワシと同じく職人さん。「モノを作る」ということを大変理解していて、打ち合わせの時やメールでのやり取りの時に、作り手に対する敬意や モノに対する愛をとても感じた。こだわりと作り手にまかせる部分とを明確に持ち「出来た物を愛でる」という姿勢、作り手から使い手に渡されたモノを、 ここからは自分たちが「完成」させていく、という成熟した哲学、その他にもたくさん氏からは学ばせていただいた。

確かなモノを見る目のある者と仕事をする楽しさや緊張感は得難い快楽である。遠方にもかかわらず木取り前にはご来城いただき、一緒に材料を選んだ。 手持ちの全てのナラ材を工房に広げ、最善を求めて検討したことはとても楽しい思い出だ。氏の元で完成していく食卓にまた会えるのが今からとても楽しみだ。

この度はまことにありがとうございました。

2010年9月26日 田中林業さん訪問
ある大手総合生活雑貨ブランド主催の交流会に参加した。檜原村にある 田中林業さん のログハウスに泊まり飲んで語る。 参加者は木製おもちゃメーカー、インテリアデザイナー、プロダクトデザイナーなどもの作り系の人ばかり。都内に行けば、容易に手がけたものが見られるような 凄い人ばかり。よくエミケンに声がかかったもんだ。

ワシが奥多摩に住んで、本当に良く目にし耳にすることに、「人工林の放置」ということがある。そしてそれをどうにかしたい、という話になる。 しかし行政も山主もなんにも出来ていないのが実情。観光課の方から奥多摩の間伐材で何か作れないだろうか?とか、 町会議員の方から「地元材で小学校の机なんか作りたい」や、森林関係の企業さんからも相談を受けたりするが、全て「〜したい」と言う話。 そこから次の段階に進むにはやはり先立つもの、カネの出所が必要。なにせ木材は現在、海外から買った方が安いと言うおかしなことになっているのだから。 エミケンで使っている木材もほとんど外国産の広葉樹である。

ワシは元々地場産材とか森の再生などということには正直興味はなかった。しかし上記のような動きや、お客さんから「奥多摩の木を使ってるんですか?」 ということをしばしば聞かれ、自分が思う以上に世の中は関心を持っている、と感じ始めているところだった。そこへ来て大手企業の東京の森と木材と作り手への着目。 「東京ブランド」は想像以上に訴える力があると言う。「Made in China」にはもう皆飽き飽きしてるんだね。 やはり最初に具体的に動き始めるのは行政ではなく民間だった。

奥多摩で木を使ってもの作りをしている立場としてはこれは絡んでおかなくては話しにならない。常々言っていた 「奥多摩からモノ作りでナニかを発信する」  ということがこの辺を突破口に見出せそうな予感もする。

「夜の部」はそうは言っても全く堅苦しい議論などなく、普通に飲み会。そんな中からキラリと光るアイデアは生まれるもの。

そして翌朝は田中林業代表 田中惣次氏 の案内で山に入る。東京で専業で林業をやってるのは田中さんだけだと言う。 実は林業界では超有名人、カリスマ的な人物とのこと。氏の語る山の話、森の話は判りやすく説得力があり目からうろこのことばかり。 植林の森と言えば花粉を撒き散らす、保水力がない、山肌がもろい、自然林は完璧。これらの話は素人受けする分かりやすい構図としてマスコミに報じられがち。 しかしそんなに話は単純じゃない。ひとつ例を上げると、「山肌のもろいところは自然状態でも崩れる。崩れたからそこに植林する。植林したって崩れやすい場所は 崩れるリスクがある。そんな場所が崩れると、ほれ見たことか!とマスコミが喜ぶ。」こんな構図。

にわかファンのワシが彼を語っても説得力がない。興味のある人は「田中惣次」で検索してみてください。いくらでも出てきます。
http://www.jca.apc.org/morizukuri/news/hyakka-0310.htm
http://www.tamamori.jp/cgi-bin/category/topics.php?topics_code=20060314004
http://www.jca.apc.org/morizukuri/news/riji_syoukai_0104.htm

この交流がどう動くかはまだ分からないが、とても興味深い活動だと思う。折角の機会なので受身にならず絡んでいきたい。今回も面白い出会いに感謝!

2010年9月24日 リュウゾー 退院
朝4時に起きて松戸へ向かう。早朝の中央道を都内に向かうと朝陽に向かって走ることになり、まぶしいけど実に美しい。首都高に入るとまだ目覚めぬ新宿のビル郡が、 もやに覆われた森のように、しっとりと重厚感をもって迫ってくる。早朝か深夜だけだね、都内を車で走る気になるのは。

さて松戸の実家に到着したけどまだ早いのでひと眠りさせてもらおうと思ったが、持て余しタイゾーが興奮した子犬のようにはしゃぐので、ワシもうれしかったし 大いに戯れた。たまには離れるのも悪くない。

ひとしきり遊んで、タイゾーに案内してもらい病院に行く。毎日通った道なので得意気だ。「この信号渡るんだよ!」「ツルカメランド曲がるよ!」と道案内。 奥多摩にはこんなに曲がったり渡ったりする場所ないからな。子供でも歩いていける場所に大病院があるのは本当にありがたい。

タイゾーがリュウゾーの病室に入るや、「にいにーっ!!」とこちらも更に興奮した子犬状態。遅れてワシが入ると「とうちゃーんっ!!!」とまるで猿回しの猿の様に ベッドで大はしゃぎ。よく頑張ったな。窓の外は向かいの病棟の壁しか見えない。この景色じゃワシも気が変になっちゃうよ。

しばらくして「噂」の病院食が運ばれてきた。まるで離乳食。白菜を鰹だしで煮たもの、ナスを煮たもの、白米、味噌汁。こりゃー肉食リュウちゃんにはキツイわ。 持参のふりかけを米にかけてタイゾーが食わせてやっていた。泣ける。

リュウゾーはこれから最後の検査や手続やらがあるのでワシとタイゾーだけ先に帰る。帰る姿を見られると大泣きするので、忍者のようにこっそりドロンした。

その後タイゾーお待ちかね、仮面ライダーの映画を観に印西市まで車で出かける。今日が最終日ということで「今日はこういう日だったんだな」と悟る。 4日間遊び相手もいず、エミちゃんもいず、自分のおもちゃもなく、DVDもない環境でよく頑張ったな。それでも少しもふてくされもせず、明るく振る舞い、立派立派。 そういう男がモテるんだよ。

我家にとってとても貴重な経験が出来た数日間だった。みんなよく頑張った!終わりよければ全て良し!

2010年9月23日 不退転
日々リュウゾーの状況がメールで送られてくる。急速に改善しているようだ。それに従い体力を持て余しているヤツは、大暴れ。点滴の管は引っこ抜くは、 酸素マスクは外すは、「病院食なんぞ食えねー、ニクニクニクー!」と叫ぶはで今度はエミさんが倒れそうとのこと。容易に想像が付く。

「川行くー!」とか「ぶーぶのるー!」とか「とうちゃんどこー!」と泣かせることも言ってるようだ。病室の窓から見えるコンクリートだらけの景色に、 奥多摩生まれの山猿は、二歳児ながらもストレスが溜まっているのだろうか。これも経験だ。

明日には退院できるということなので、迎えに行ってやることにした。リュウゾーよりもタイゾーが不憫でならない。ヤツも相当持て余しているに違いない。 明日はヤツが見たがっている仮面ライダーの映画にでも連れて行ってやろう。そのためには今日中に仕事をひと段落させなければいけない。

そうして全てのオイル塗りが終わったのが24時。朝3時から働き出したので実に 21時間労働 。我ながら凄まじい。サラリーマン時代にこれやってれば、 今頃ドイツ支店長くらいにはなれたかな。早く寝よう。

2010年9月20日 リュウゾー 入院
三連休中、母子を実家で過ごさせるべく、18日に松戸に送った。

翌早朝ワシだけ帰宅。「やもめ仕事モード」に突入。たっぷり仕事して、深夜就寝。

翌20日早朝、エミさんより連絡。 「リュウゾー入院」 。深夜2時頃咳がひどく、呼吸もできないと言うことで近所の大きな病院に連れて行ったところ、 急性の喘息の発作により血中酸素が著しく低下、大人だったら立っていられないレベル。ということで即入院。たちまちこんな姿に。 4日ほど入院して、点滴と酸素吸入をして様子をみるとのこと。

つくづく松戸にいてくれてよかったと思う。大病院が近所にあるし、両親がいてくれる。エミさんはリュウゾーに付ききりで寝泊り。 もし奥多摩だったらタイゾーの面倒はワシが見なければいけない。今の仕事状況だとそれもかなりキツイ。恐縮だが松戸の両親に見てもらえてほんとうに助かる。

リュウゾーのおかげでまた貴重な初体験。しばらく皆さん頑張ってください。

2010年9月14日 靴新調
来月の運動会に向け、タイゾーが並々ならぬ意欲を見せているので靴を新調してやった。というかワシの母親が買ってくれた。

子供用の靴売り場は色とりどり、ラメ入り色が特に多く、光り輝いている。子供はひかりものに弱いんだな。「俊足」ってヤツは知っていた。 保育園の下駄箱(下駄なんかひとつもないね、そう言えば)にも数多く鎮座している。だからこれでいいのかな?と思っていたら、 競合他社から 「Super BA・NE」 なる商品が新登場していた。前者はコーナリングのある走りに強く、後者は直線に強いと言う。 靴底になにやら特殊構造を施し、バネの力でスピードが増すのだそう。ドクターナカマツがそんなのを履いていたっけ。 機能については眉唾だが、見た目がかっこよくタイゾーも気に入ったのでこれにした。

折角だから汚す前に記念撮影。うむ、かっこいいじゃねーか。今日保育園に行ったら人気者間違いなしだ!と、そこへリュウゾー登場。「おらも〜!」と足を出す。 よしよし、撮ってやるからな。うん、かっこいいぞ。ヤツの靴は当然ながら兄ちゃんのお下がり。

さぁ、早く保育園行け!

2010年9月4日 “次男”リュウゾー
ある日のオヤツ風景。エミ作シフォンケーキを食う長男と次男の違いが如実に現れている。

長男、タイゾーはマニュアル通りホイップクリームを丁寧に付け食す。 それに比べ次男、リュウゾー「ほいっぷくりーむなんぞ付いてようがいまいが、食えるうちに食う!」

世の次男の常、産まれた瞬間から弱肉強食の世界に弱い立場として放り込まれる。その暮らしが二年も続くとこうも逞しく成長するのだなぁ。 ワシは長男ゆえ分からない世界である。タイゾーには場面場面、容易に似たところを見つけられる。

ちなみにエミさんは三女。もっと厳しい世界で育ったようだ。何もしないと自分の分のお菓子がなくなる立場ゆえ、「すぐ分ける」という技が身に付いた。 その技を始めて見たとき「ああ、長男に産まれてよかったぁ」とつくづく感じた。今のリュウゾーを見ても同じことを思う。

世の中の長男以外を敵に回したか?



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