長月
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●2007年9月28日 お店進捗 と 「東京の庭」到着!
久々に「エミケンのお店」の進捗状況。ヤフーオークションで野営道具やカヌー用品を購入する合間に、 ちゃんと仕事もしております。
お店の半分のペンキ塗りが終了し、本日から床貼り作業開始!全ての材料に柿渋を塗ってから敷いていく。二月頃(だっけ?) 購入した時はビショビショの生木だった木材もすっかり乾燥し、いい床材になっていた。とりあえず今日は半間×六間分ほど終わった。 うーん、素敵だ。先が見えてきたよ。氷川城は再び柿渋の強烈な芳香に満たされております。 この機会に是非体感しに来て下さい。
22時頃、無料冊子娘とその彼である印刷屋の職工ユキちゃんが、出来立てホヤホヤの 奥多摩無料冊子「東京の庭」創刊号を持って来てくれた。創刊号完成です!!!無料冊子娘!お疲れ様!! 全部で5000部。結構な量ですな。感無量だ。今回は彼女たちの「念ずれば通ず」の力を見せ付けられた。情熱ですな。うーん、 気持ちよし。ワシは製作には一切携わっていないが「代表者 佐藤健一」とか書かれてしまっている。ありがとう。 これからも縁の下で協力するよ。いい冊子を作り続けましょう。
冊子を置いていただけるお店、喫茶店等を募集中です。「エミケン」又は 「東京の庭 製作委員会」までご連絡ください。

●2007年9月24日 カナエちゃんご来城 と 日原お誕生会

6月に誕生したカナエちゃんを連れ、タキさんマリちゃんが来てくれた。遠路ありがとう。本来こちらから行くべきなのに、 スマンかったです。新生児の面影が残っているうちにカナエちゃんに会いたかったので良かった。目が大きいね。実にかわいい。
父、母になった二人に会うのも初めてだ。上も下もないけど、なんか「対等」になった気がする。同じ価値観で話ができるというか。 嬉しいよ。マリちゃん、一段と魅力的になったね。ああ、あのマリちゃんがお母さんか。感無量。この二人の子だから間違いなく 大きくなるね。175cmはいくだろうな。花婿候補のタイゾーとしてはそれ以上にならないといけないね。頑張れ。今度は我々が群馬に 遊びに行きます。
さて夕方、日原のNATA家にて「キョウ、カズキ 合同誕生会」が行われた。今月、NATA家のキョウが一歳、キタヤマ家の カズキが二歳になった。メデタイ!各家庭料理持ち寄りだったのだが「打合せしたの?」というくらい多種多様の料理が並んだ。 もう目移りしてしまう。奥多摩の主婦は料理が上手い!CHAN曰く「敏腕主婦揃い」。
しかしガキ赤子が5人もいると、ワイングラス片手にゆっくり食事を堪能、というわけにはいかない。いや、一匹怪獣もいたな。 今日は徹底的だったな。降参です。妊婦さんも二人いて「気」の飽和状態。NATA君CHAN、お疲れ様。
今日は一日たっぷり「気」の補充ができた。大満足!

●2007年9月23日 日刊 タイゾー

きょうはエミちゃんまるのうちでおーしごと。とうちゃんとふたりでるすばんだじょ。とけのこうえんでいちにちあそぼうと おーもったけど、あめだからとしょかんいったじょ。そしたらやすみだったじょ。とうちゃんこーまった。
そしたらソラくんのかあちゃんからでんわがあって、そんなこんなでソラくんがうちきたじょ。とうちゃんよりソラくんのほうがだんぜん おもしろいからうれしかったじょ。ひるごはんもいっしょにたべたじょ。
おひるすぎにソラかあちゃんがおともだちつれてきたじょ。ナオくんだって。3にんでおおいにあそんだじょ。たーのしかった!
みんな、またタイタイのうちきてくれよ。おもちゃもかしてあげるから。とうちゃん、おーつかれさまだったじょ。

●2007年9月22日 克千代来城

ワシの両親が災害見舞いに来てくれた。川漁師の息子である父も、川の増水の凄まじさを語る川岸の変わりように驚いていた。
こんな天気のいい日に氷川城にいて味噌汁色の川を眺めているのもなんだから、皆で登計(とけ)の公園に行った。 先日、タイゾーと二人で留守番のときに利用してからここはワシのお気に入り。景色ヨシ、安全性ヨシ、設備ヨシ。「三ヨシ公園」 とでも名付けるか。大人の方がすっかり楽しんだ。
母が「奥多摩も見たい」と言う。「ハテナ?ここも奥多摩ですけど?」と思ったが良く聞くと「奥多摩湖」のことだった。 さぞや台風の影響で凄まじい変貌を遂げているのでは?という期待があったそうだ。ワシもまだ見に行ってなかったし、気になった。
観光客の多いこと。さすが奥多摩湖。期待に反して奥多摩湖自体はとくに凄まじいことにはなっていない。そりゃそうだ。 ここがどうにかなってたら、下流は都心も含め全滅だ。満々とたたえた水はやはり味噌汁色だった。
氷川城に戻り父が川原でなにやらやっている。竹林にひっかかったゴミや流木を片付けてくれてた。ワシも気になってたけど、なんだか 全くやる気にならなかったのだ。「よし!これでサンマ焼こう!!」だと。それはいい考えだ。このにっくき増水の置き土産で サンマを焼いて食う。なんとも痛快だ。さすが津久井の山猿、手際よく火をおこし、熾(おき)を作り、サンマを焼きだした。 「ついでだから花火もやろう!」タイゾー大喜び。実に美味く、楽しい夜になった。
自然とは喜びも悲しみも表裏一体。人はひたすら謙虚に謙虚に。

●2007年9月21日 無事で何より会

アラサワ家が「無事で何より会」を催してくれた。台風9号から二週間経ち、エミケンが落ち着いたのを見計らって 計画してくれたのだ。ここ二週間たしかにバタバタしてたし、気持ちがなんだか落ち着かなかった。「一発パーッとやりたいなぁ」 という気持ちだった。
ターとコズエ嬢の心づくしの料理でもてなしてくれた。ターの「すぐにでも呼びたかったんですけど、きっとそういう 気持ちじゃないと思って・・・」という気遣い、泣けた。太巻き、いなり寿司、実に美味かったよ。あんまりワシが涙を浮かべながら 「実に美味い、実に美味い」を連呼してたら、ソラもしっかり覚えてしまい、連呼してた。実に嬉しい。
皇太子御用達という芋焼酎も出してくれ(今日まで開けずにいてくれたんだと、うう。)、すっかりしかし気持ちよく酔ってしまい、 そのままお泊りさせてもらった。
筆舌に尽くしがたいとはまさにこのこと。おかげでしっかり気持ちが切り替わった。これからワシらがこの台風のことを思い出すときは、 同時にこの宴のことも思い出さずにはいられない。アラサワ家、まことに、まことにありがとう。

●2007年9月17日 リカちゃん来城 と「東京の庭」

リカちゃん久しぶりにご来城。今月末の秋田国体に向け白丸湖で練習しているそうだ。まだ水は味噌汁のよう。 まったく漕いでて楽しくないよね。しかし選手だからそうも言ってられない。身体、締まったね。さすが!若い衆に負けるなよ!! いや、試合で負けても心で勝て!!!
無料冊子三人娘もご来城。今月末創刊『東京の庭』の原稿を持って来てくれた。ワシはなんにもお手伝いできなくて ホント申し訳ない。素敵な仕上がりだった。写真がきれいだね。これはそんじょそこらの無料冊子にあらず!今月28日に印刷が 上がってきます。冊子を置いてくれる方、どうぞご連絡ください。欲しい方もご連絡ください。直接取りに来てくれてもいいです。
どうぞお楽しみに!

●2007年9月15日 竹野広行氏を偲ぶ会

でく工房 の創設者「竹野広行氏を偲ぶ会」が新宿で行われたので行って きた。彼はもう30年以上前に脱サラして家具工房を始めた、ワシの大大先輩だ。エミ部門もケン部門も何度かでくの仕事もさせて もらったりして、本当にお世話になっている。酒を飲むさまは流石九州男児らしく豪快であった。ワシのように自分の過去をペラペラ 話す人ではなかったのだが、酒の席でチョコチョコと聞き出した。とても参考になるし刺激を受けた。まだまだ聞きたいことがあったし、 酒も飲みたかった。
それが四年前の9月17日。のどの痛みを訴え軽い気持ちで病院い行き、突然入院しそのまま亡くなってしまった。 まったく死ぬ病気ではなかった。では何故亡くなったか。医療事故ってやつだ。本当に悔しい。本人が一番悔しいに決まっている。 三歳の女の子と小5の男の子がいた。
結局裁判になり今年の7月にやっと和解が成立した。しかしこの裁判で「敵」になった病院やそれを運営する市の対応はとても「人間」 ではなかったという。詳細は書ききれないので書かない。その報告も兼ねた「偲ぶ会」だった。
140人以上の人が集まった。竹野さんの人望を大いに見せ付けられた。ワシが今死んだらこんな盛大な偲ぶ会を誰かが 企画してくれるだろうか?果たしてこんなに人が集まってくれるであろうか?今は無理かな?
竹野さんの仕事はこう言っては申し訳ないが「まったくおいしくない仕事」だ。障害者のための保持具製作。 彼らは障害者という立場上収入が少ない。だから製品を高価にするわけにはいかない。しかし全てが完全特注品。手間は激しくかかる。 国からの補助はあるが製作の手間にはとても合わない。だから大手は入ってこない。個人経営の工房の「情熱」に支えられているのが 実情。竹野さんはこの分野の先駆者だった。
30年前と言えばきっと障害者やお年寄りのための社会作り、なんてことは二の次だった高度成長まっしぐら。売れるものをバンバン作る。 今でこそようやく、ようやくにユニバーサルデザインなんてものが商売に結びついてきた。そんな時代にこの仕事を始めた彼の偉大さは 言わずもがな。苦労は生半可ではなかったそうだ。そんな彼を支えてきたのは素晴らしい仲間だったのだ。「人脈は金脈」をワシに 目の当たりにさせてくれる人だった。
竹野さんのことを書き出すときりがなくなる。とにかく偉大さを再認識させられる会だった、と共にやはり悔やまれてならなかった。 奥様のセツコさんが今はでく工房を切り盛りしているが、彼女の強さにも頭が下がる。
竹野さん、こんなに仲間がいて羨ましいです。もうそんなに心配しなくてもいいかもしれませんね。安らかに。
<参考>
竹野広行の裁判
竹野氏の著作
矢野陽子

●2007年9月14日 エミケン健在

すっかりご無沙汰しました。精神修養(メンタルトレーニング)を終え、すっかり復活いたしました。
今回は自分の危機回避能力の未熟さを思い知った。自分ではかなり高い能力を備えていると思っていたがそうではなかった。 何の根拠もない「平気だろう」という気持ちが最後まであった。だから水がどんどん増えているにもかかわらず地階の物を運び上げる のが遅くなってしまった。平気でも「もしかして」と考えられる者が最後に生き延びるのだ。しかし必要以上に「もしかして」 ばかりだと前進できないのだが。これはもう感性(センス)の世界だ。
ワシの修練の教材は「子連れ狼」。全14巻一気に読破した。何度読んでも新鮮だ。「人生とは重きを背負いて二河白道を行くもの也」。 悲願達成の道は、火の河水の河に挟まれ狭く厳しいが必ずある。今回の出来事はまさしく水の河。悲願達成のために必要不可欠な出来事 なのだ。
活を入れるために頭も丸めた。完璧です。
たくさんの激励ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

●2007年9月7日 氷川城 浸水

昨日、日が暮れてから雨が強くなり、川の水量がどんどん増えた。本日0時過ぎ「ここまで来たら避難しよう」と決めていた水量に 達した。エミタイを近所のアラサワ家に預ける。ワシは再び城に戻り、国道側の排水溝が詰まらないよう寝ずの番。 ここが溢れると国道側からも水攻めになる。2時過ぎ、川の水面とうとう氷川城地階まで達する。慌ててカヤック三杯を上階に上げるが 地階に下りるたびに水面が上がっている。四度目にパドルを取りに行き、再び地階に降りた時にはもう危険な状態に。 残念ながらその他の物はあきらめる。カナディアンカヌー二杯、イナバ物置、物置小屋。内訳はカヌー用品、キャンプ用品、 ダイビング用品、スキー用品等のオモチャとスタッドレスタイヤ、石油缶6個、その他。これら全て流失。「しばらく遊ぶな」 ということか。3時過ぎ、水量は最大に。しかしその時点では「今が最大」などとは知る由もなく、これ以上増えたら城自体が本当に 危険な状況なので、逃げるか否か苦悩する。しかし突然崩れる事はないだろうから、崩れ始めたら逃げる事とし、 最後までいようと決めた。工房でひとり、今まで味わった事のない極限状態を味わう。最大の状態が二時間ほど続く。 増えもせず減りもせず。しかし雨はやまない。この時は本当に神に祈った。5時頃から水が徐々に減り始めた。 そして6時半、写真の状況に。初めて地階が全て流失した事が分かり愕然とする。しかしこれで済んで良かったとも激しく思う。 地階から水が去り、水面が石垣の下になった頃、エミタイを迎えに行く。17時半現在、水面は最大時より4mほど下がった。 それでも去年10月の大雨の時よりも高い。
以上、報告終わります。心配してくれて連絡をくれた方々、本当にありがとうございました。こういう時の一言というのはこの上なく 勇気付けられるものだと知りました。

●2007年9月6日 氷川城下 大増水

ちゃぶ台展が終わり、相模の出城にて一息ついて後、氷川城に戻ってきた。久々の奥多摩は心なしか季節が進んでいた。
さて、今日から仕事再開。身体も鈍ってしまったので久々の朝錬をしようと5時に起床。川を見ると・・・大増水。 「うー、やりたい」と思う気持ちと「ヤバそ」という気持ちが去来する。結局やめた。
濁流を眺めながらの家頁更新や見積作業などの事務仕事は実によくはかどる。「川が呼んでいない」から。
写真左、6:00。右、16:00。
どんどん増えている。これから台風関東上陸というからまだまだ増えそうだ。氷川城危うし!

●2007年9月3日 ちゃぶ台展 最終日

無事終了しました。今日は旗艦エミ氏が朝から接客。大いにヒマと戦ったようです。
ワシは連日の疲れを癒すためタイゾーと実家近所の公園で遊ぶ。平日の住宅街の公園のなんと落ち着くこと。近所の若奥様が子供と 遊んでいる。子供同士は瞬時に仲良くなってしまう。必然的に親同士も仲良くなってしまう。実にいい。実にいい平日の昼下がり。
13時半、タイゾーが昼寝をしている隙にジジババに後をまかせ車で高島屋に向かう。本日は17時に終了、その後撤収となっている。
16号線を横浜方面に向かいそのまま首都高狩場線に乗る。そして横浜駅西口で降りる。出口から高島屋まではほんの5分。 この道程だと約一時間弱で到着するハズ。しかし石川町JCTで間違えてしまい大黒PAにて「し曲がり」(Uターン)。 ただ「し曲がり」するのもつまらないのでここでまた海を見ながらまったり。平日のけだるい午後の港を出入りする貨物船。 実にいい。ワシの中では展示会はもう終わってしまったかのようだ。思考回路が非常に緩慢だ。
15時前、高島屋着。エミ氏奮戦中。といっても会場内を覆う雰囲気はワシの思考回路のよう。皆さん疲労が頂点に達しているようだ。 ワシは最後の接客を楽しむ。
ワシのいない間にター、コズエ嬢、ハナちゃんが来てくれた。会えなくて本当に残念だった。遠路本当にありがとう。 奥多摩帰ったら顔出します。いっちゃん、まおちゃん母子はワシを待っててくれた。会えて嬉しかった。ありがとう。 マオちゃん益々可愛くなってたな。
そして17時。六日間の展示会が無事終わった。搬出は混み合うだろうからエミ氏と迅速に終わらせ17:20高島屋を後にする。早い。 さすがちゃぶ台。
この六日間、やはり大いに学ぶものがあった。脚をはこんでくれた友人知人も多く、小学校以来の友人にも会えた。 これは本当に嬉しいことだった。さすが古巣。横浜の雰囲気はやはりいい。これからエミケンは横浜にも積極的に進出したいと 強く思った。ご来場の皆様、今回は本当にありがとうございました。

●2007年9月2日 ちゃぶ台展 五日目

本日は大本命の日曜日。「ちゃぶ台全部売るぞ!」の心意気で挑んだ。
さすが日曜日、友人知人が多数来てくれた。入れ替わり立ち代り途切れず誰かしらが来てくれたので本当に楽しかった。 マリちゃん一家、ヒデさんクミコさん、タナカ家、イトウ家、ジュウちゃんとお母さん、ホソカワ家の皆様、ありがとうございました!! エミケンちゃぶ台の周りには常に人だかりがあり、記念撮影までしたりしてとても楽しそうなので、きっと他の売り手さんから見たら 大繁盛だと思われたに違いない。
業務連絡的には、「お買い上げ〜!」はなかったが、とても真剣に検討してくれてる方も数組いらして、また連絡してくれるとの事 でした。お待ち申し上げます!
明日の最終日、旗艦エミ氏が朝から接客をします。とうとう超ド級戦艦が動きました!これは大いに期待が膨らむ。結果報告、 請うご期待!!!
ただ今ワシは相模の国の出城に陣を構えているので、氷川城に戻り次第撮らせていただいた写真を掲載いたします。 こちらも合わせてお楽しみに!

●2007年9月1日 ちゃぶ台展 四日目

土曜日。高島屋の人によると「今日明日が勝負ですね」ということだった。「家具は土日」がこの業界の常識らしい。 確かに今までは女性客がほとんどだったが、今日は親子連れ、夫婦、男性が多く期待が膨らむ。
そして結果は・・・本日も無安打。しかし今までと違い興味を持ってくれる人が多く、とても楽しく接客できた。きっと後日連絡が くるだろう。
マツダ家、カネコ氏友人のりさん、アキモト三姉妹+子供達も駆けつけてくれた。初見の若い娘さん方とも「一期一会」するほど 仲良くなったりして、ちょっとデザフェスっぽい雰囲気だった。
明日は大本命日なので大いに奮起しよう!



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